人的資本とは、ヒトが持つ知識やスキルなどを資本と捉える考え方を指します。人的資本の開示が義務化となった企業もあるように、中長期的な組織の成長のため人的資本経営に注目が集まっています。本記事では、人的資本とは何か、人的資源との違いを踏まえてわかりやすく解説します。また、なぜ人的資本経営が注目されているのか、その理由や背景、メリット・デメリットも紹介します。
目次
1. 人的資本とは?
人的資本とは、従業員が持つ知識やスキル、資質などを企業の成長につながる資本とする考え方です。さまざまな国際機関や各国の会計基準・情報開示基準が独自の定義を持っており、世界的に共通して確立された定義はまだありません。ここからは、人的資本の歴史や、人的資源との違い、人的資本経営とは何かについて紹介します。
1-1. 人的資本の歴史
人的資本の考え方自体は、「経済学の父」とよばれる18世紀の経済学者、アダム・スミスの著書「国富論」まで遡ります。アダム・スミスは「国富論」で、労力と時間をかけて能力を伸ばした人々の仕事の重要性を主張しました。
その後、1950年代から1960年代にかけて、この考え方はほかの経済学者により「人的資本」として概念化されています。現代では、個人が専門的な教育によって獲得したスキルや知識だけでなく、先天的に持っている資質も人的資本とする考え方が一般的となっています。
1-2. 人的資本に関する国内外の状況
人的資本に関する考え方は世界中で広がっています。2020年、アメリカ証券取引委員会(SEC)は、投資家が人的資本の情報を重視するようになったことを受け、人的資本に関する情報開示をアメリカの上場企業に対して義務化しました。また、イギリスやドイツ、スウェーデンなどの欧州・ヨーロッパでも、早くから人的資本に着目し、さまざまな施策がおこなわれています。
日本でも、2020年9月に経済産業省が「人材版伊藤レポート」を発表してから、人的資本の重要性に対する意識が高まりました。また、SDGsの目標8である「働きがいも経済成長も」を受け、人材への投資が企業を評価する指標にもなっています。このように、世界的に人的資本を重視する傾向が強まっていることもあり、日本国内でもますます人材への投資が重視されるようになっていくでしょう。
1-3. 人的資本と人的資源の違い
人的資本と似た用語に、人的資源があります。人的資本と人的資源の違いをまとめると、次の表のようになります。
人的資本 |
人的資源 |
|
人材とは |
投資するもの |
消費するもの |
人材管理の目的 |
企業の価値を高める |
効率よく資源を消費する |
雇用の形式 |
企業も人材もお互いを評価し選び合う |
終身雇用で人材を囲い込む |
企業と従業員の関係 |
企業と従業員がお互いに成長を助け合う |
企業が従業員を管理し、従業員は企業に依存する |
人的資本と人的資源の大きな違いは、人材の捉え方です。人的資本は人材を企業価値向上のための資本と考え、価値を高めるために教育や研修などを通して投資します。組織と従業員が互いに成長することで、価値が生み出される関係を目指していることが特徴です。
一方、人的資源では人材を消費の対象とします。教育や研修は、資源としての人材をなるべく長く使用できるようにすることが目的です。人的資源の考え方では、終身雇用で人材を囲い込み、いかに効率的に消費するかが重視されます。このように、人的資本と人的資源には明確な違いがあるので、正しく定義を理解しておきましょう。
1-4. 人的資本経営とは?
人的資本経営とは、経済産業省により明確に定義されており、人材を組織の資本の一つとみなし、その価値を可能な限り引き出すことで、持続的な組織の価値向上につなげる経営手法を指します。人的資本の注目が集まっていることもあり、それを活用した人的資本経営への注目も高まっています。
人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方です。
2. 人的資本が注目される背景
人的資本への注目は、日本だけでなく、米国・欧州など、世界中で高まっています。なぜ人的資本への注目が集まっているのでしょうか。ここでは、人的資本が注目される背景について詳しく紹介します。
2-1. 多様な働き方の推進
人的資本が注目される背景として、働き方の多様化により、これまでの人材管理では対応しきれない状況が挙げられます。女性の社会進出や男性の育児参加、非正規雇用社員・外国人社員の増加などにより、国内の働き方は数十年前に比べて大きく変化しました。また、働き方改革の影響もあり、テレワークやフレックスタイム制、裁量労働制など、多様な働き方が推進されています。
このような環境において、企業が画一的な方法で一方的に人材を管理するのでは、多様な人材を効果的に活用できません。このように、価値観や考え方が異なる人材の価値を最大限に引き出して、組織を成長させるため、人的資本が注目されるようになっています。
2-2. 技術革新による人的資本価値の向上
近年では、AI(人工知能)やビッグデータ、ロボティクス、ブロックチェーンといった技術が急激に進歩を遂げています。技術革新により、事務作業などのルーチンワークや単純作業などが自動化できるようになりました。
このような時代では、新たなアイデアを生み出してイノベーションを起こすため、人の手でしかできないクリエイティブな仕事が求められます。創造性を養うためには、従来のような教育では困難です。そのため、人材に積極的に投資を実施する人的資本の考え方が注目されるようになっています。
2-3. 少子高齢化による労働力不足
日本社会の課題の一つとして、少子高齢化による労働人口の減少が挙げられます。人材確保が難しく、労働力不足に悩みを抱えている企業は少なくありません。限られた人材で成果を出すためには、従業員一人ひとりの価値を限界まで引き出すことが求められます。従来と同様の生産性を維持する、それ以上に向上させるためには、人材の質を高めなければならないため、人的資本の考え方に注目が集まるようになっています。
2-4. ESG投資への注目の高まり
人的資本に注目が集まる背景として、無形資産が投資判断の要素となったことが挙げられます。株や商品のような有形資産だけでなく、目には見えない無形資産も投資判断に含める投資家が増えてきました。とくに、最近では持続的な経済成長を促進するESG投資が主流となっています。
ESG投資とは、「環境(Environment)「社会(Social)」「ガバナンス(Governance)」の3つの要素から長期的な目線で投資先を選定する投資スタイルのことです。社会(S)には、人材(人的資本)も含まれます。このように、短期的な視点だけでなく、長期的な視点も考慮してリスク回避やリターン向上を目指す投資家が増えてきたことで、人的資本にも注目が集まるようになっています。
3. 人的資本開示と「ISO 30414」
人的資本への注目が高まるようになり、企業は人的資本の開示が求められるようになっています。ここでは、人的資本開示と関わりのある「ISO 30414」について詳しく紹介します。
3-1. ISO 30414とは?
「ISO 30414」とは、国際標準化機構(ISO)が2018年に制定した人的資本情報開示のガイドラインのことです。人的資本に関する情報開示の仕方を定めており、次の11領域において49項目を設定しています。
- コンプライアンスと倫理
- コスト
- ダイバーシティ
- リーダーシップ
- 企業文化
- 企業の健康・安全・福祉
- 生産性
- 採用・異動・離職
- スキルと能力
- 後継者育成計画
- 労働力
「ISO 30414」は、国際的な人的資本の指標です。「ISO 30414」に沿って人的資本の情報を開示することで、世界中の投資家に向けて適切にアピールすることができるようになります。人的資本を重んじる姿勢を示すためにも、「ISO 30414」を意識した情報開示をすることが推奨されます。
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3-2. 2023年3月から人的資本開示が義務化されている
これまでは人的資本の開示は義務化されておらず、開示するかどうかは企業の考え方次第で決めることができました。しかし、一部の企業において人的資本の開示が2023年3月期決算から義務付けられています。対象となる企業は、金融商品取引法第24条に基づき有価証券報告書を発行する約4,000社の大手企業です。
人的資本の開示義務のある項目は限定されており、「ISO 30414」や「人的資本可視化指針」などで記載されている事項をすべて記載する必要はありません。しかし、人的資本への取り組みをステークホルダーに示すため、自主的に任意の項目についても開示する企業が増えています。
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4. 人的資本を高める方法
人的資本への注目の高まりから、どのようにすれば人的資本が高められるのか、疑問に感じている人も少なくないでしょう。ここでは、人的資本を高める具体的な方法を紹介します。
4-1. 経営戦略と人材戦略を結びつける
人的資本を重視するあまり、人事部門のみで戦略を考えて施策を実施してしまうケースがあります。このような場合、なぜ人的資本を高めるかが曖昧となってしまい、本来の目的を果たせない恐れがあります。企業の目標を達成するための方針である経営戦略から、人材戦略を立てることで、経営目標を実現するための人的資本の向上戦略を策定することができるようになります。このように、人事部門だけでなく、経営部門も一緒になって、経営戦略と人材戦略が結びついた方針・計画を立てることで、効果的に人的資本を向上させる施策を検討・実行することが可能になります。
4-2. 教育・研修に力を入れる
人的資本を向上させるには、従業員に新しい知識・能力を身に付けてもらう必要があります。効果的な人材育成を実施するためには、新しくOJT制度やeラーニング制度を導入するなど、教育や研修に力を入れることが大切です。
また、従業員一人ひとりが積極的に教育・研修に取り組めるよう、従業員の将来なりたい姿も反映させて人材育成をおこなうことが重要です。組織と従業員の目標が合致すること、効率よく人材育成を実施し、人的資本を高めることができます。
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4-3. 人事評価制度を見直す
人的資本を高めるためには、年功序列から成果主義に移行するなど、人事評価制度の見直しも必要です。同じような仕事をしていても、年齢や勤続年数などで報酬が変わってしまうと、従業員のモチベーションは低下してしまいます。従業員が成長したいと思えるような評価制度にすることで、効率よく人材育成ができるようになり、人的資本も高まっていきます。
4-4. 働きやすい環境を提供する
従業員は安心して働ける環境で業務に取り組めることで、仕事の生産性が向上し、成長へとつながりやすくなります。また、働きやすい環境は、離職率の低下や定着率の上昇にもつながります。さらに、外部に働きやすい会社として認知されれば、求人応募者が増加し、優秀な人材の獲得も期待できます。
まずは従業員にアンケートやヒアリングをおこない、働き方の課題を洗い出しましょう。たとえば、仕事と育児・介護などを両立しにくい場合、フレックスタイム制やリモートワークを導入してみるのがおすすめです。また、最近ではメンタルヘルスに関連した福利厚生を導入することで、従業員の満足度を高める企業も増えています。このように、自社の課題に応じて労働環境を見直すことで、従業員満足度が向上し、人的資本も高まりやすくなります。
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4-5. 多様な人材を受け入れる
少子高齢化や人材流動化の影響もあり、人材確保に悩みを抱えている企業は少なくありません。人的資本を高めようとしても、自社にあった人材が獲得できなかったり、育成した人材が流出してしまったりしては意味がありません。
そのため、人的資本の向上のためには、年齢や性別、国籍、文化などに関係なく、多様な人材を受け入れる体制を整備することも大切です。多様な人材が集まることで、あらゆる意見がぶつかり合い、新しいイノベーションやより良いアイディアが生まれる可能性も高まります。このように、組織の発展のためにも、多様な人材が活躍できるフィールドを提供できるようにしましょう。
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4-6. ITツールを活用する
人的資本を高めるには、人事データの蓄積・分析・活用が不可欠です。このような人事データを上手く取り扱うには、人事管理システムやタレントマネジメントシステムなどのITツールの導入がおすすめです。ITツールを利用することで、自動でデータを蓄積し、一元管理することが可能です。また、データ分析機能により、人事データを分析して可視化し、情報共有や意思決定に役立てることができます。このように、効率よく人的資本を高めるため、目的に応じたITツールの導入も検討してみましょう。
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5. 人的資本経営を実践するメリット
人的資本経営を実践することで、さまざまなメリットが得られます。ここでは、人的資本経営を実践するメリットについて詳しく紹介します。
5-1. 従業員の能力やスキルを可視化できる
人的資本経営を実践するには、従業員一人ひとりに焦点を当てて効果的な戦略を考える必要があります。たとえば、従業員の適性に基づいて人材配置をおこなったり、将来のビジョンを踏まえて人材育成を実施したりすることが挙げられます。このような過程で、従業員の能力やスキルが可視化されます。従業員の持っているタレント情報を客観的に把握し、上手く活用することで、人事目標だけでなく、経営目標の達成にもつなげることが可能です。
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5-2. 従業員エンゲージメントが向上する
人的資本経営を実践する場合、これまで以上に人材に投資するコストが増えることになります。人材育成や労働環境の整備にリソースを割くことで、従業員の成長機会の創出につながり、仕事に対するモチベーションの向上にもつながります。また、帰属意識も高まり、従業員エンゲージメントが向上します。これにより、離職率の低下や労働生産性の向上が期待できます。
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5-3. 企業イメージが高まる
人的資本経営を実践する場合、人材に多くのリソースを割くことになります。人的資本に注力し、成長が期待できる会社として外部に認識されることで、優秀な人材が集まるようになります。また、企業イメージの向上により、社会的信頼が高まることで、投資家などのステークホルダーからの評価も高まり、より有利に経営を進めることが可能です。
6. 人的資本経営を実践するデメリット
人的資本経営を実践する場合、メリットだけでなく、デメリットもあります。ここでは、人的資本経営を実践するデメリットについて詳しく紹介します。
6-1. コストが必要になる
人的資本経営をおこなう場合、人材育成や労働環境の整備などに多くのコストが必要になります。また、人的資本経営の推進方法に関する知識・ノウハウが不足している場合、採用やアウトソーシングなどの費用も必要です。このように、人的資本経営を実践するには、大きな初期費用や運用コストがかかります。必要となるコストを明確にせず、人的資本経営を実施しようとすると、途中で断念することになる可能性もあるので注意が必要です。
6-2. 長期目線で取り組まなければならない
人的資本経営を始めたからといって、すぐに成果が出るわけではありません。従業員の育成・成長や組織の変革には時間がかかります。また、失敗から学び、次につなげていくことで、人的資本経営のノウハウが蓄積し、より効果的な施策を実施することができるようになります。このように、人的資本経営を実践して効果が表れるまでには膨大な時間がかかる可能性もあることを押さえておきましょう。根気よく長期的に取り組むことで、効果的な人的資本経営を実現することができます。
6-3. 成果が出るとは限らない
人的資本経営のデメリットの一つに、実践したからといって成果が出るとは限らないことが挙げられます。人的資本経営を実現するには、大きな時間やコストがかかるだけでなく、想定しているような効果が出ないという「不確実性」もリスクとして押さえておくことが大切です。
しかし、このようなリスク以上に、中長期的な安定成長というメリットが得られる可能性もあります。まずは予算やリスクなどを明確にし、取り組む価値があるかどうか検討したうえで、人的資本経営の実践に移りましょう。
7. 人的資本経営の実施手順
人的資本経営を効率よく実践するには実施の流れを理解しておくことが大切です。ここでは、人的資本経営の実施手順について詳しく紹介します。
7-1. 経営戦略に基づき人事戦略を策定する
まずは経営戦略に基づき、どのような制度や施策が必要になるか、人事戦略を検討しましょう。経営戦略と人事戦略が結びつくことで、経営目標を達成するために必要な人事戦略が明確になり、効果的な人的資本経営を実現することができるようになります。
7-2. KPIを設定して施策を実施する
経営戦略に基づく人事戦略が立てられたら、それを実現するためのKPIを設定しましょう。人的資本経営は中長期的な取り組みになります。定量的で具体化された中間プロセスであるKPIを設けることで、従業員のモチベーションを維持しながら、人的資本経営の目標に向かっていくことができます。
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7-3. 定期的に見直しと改善をする
KPIを設定し、施策を実施したら、定期的に評価をおこないましょう。KPIの進捗状況をチェックし、上手くいっている理由や、思うような進捗が出ていない原因を分析し、改善につなげることで、効率よく目標達成を目指すことができます。また、時代や社会の変化に応じて、KPIの設定自体を見直す可能性もあることを押さえておきましょう。このように、KPIを通じて施策の実行と見直し・改善を繰り返すことで、効果的な人的資本経営を実現し、持続的な組織の発展へとつなげることが可能です。
8. 人的資本経営を成功させるためのポイント
ここでは、人的資本経営を成功させるためのポイントについて詳しく紹介します。
8-1. 人的資本の開示を目的にしない
人的資本の開示が義務付けられたことに伴い、そのこと自体が目的となってしまうケースがあります。なぜ人的資本の開示が必要なのか、その理由や背景を確認し、組織の成長のために人的資本の向上・開示が必要であると認識しましょう。自社の課題を洗い出したうえで施策を実施し、人的資本を高めることで、中長期的に安定した組織の成長へとつながり、よりステークホルダーから信頼された企業を目指すことができます。
8-2. 組織全体で施策を進める
人的資本経営は、人事部門だけでなく、経営部門や現場の従業員の協力もあって、円滑に施策を進めることができます。経営部門の協力がなければ、人的資本を高めたとしても、上手く経営に活かすことができない可能性があります。また、現場の従業員が人事施策に非協力的だと、人的資本の向上につながらない恐れもあります。
まずは人事部門が主体となって人的資本経営の目的やメリット・デメリットを組織全体に周知するようにしましょう。全社的に人的資本経営を進めることで、共通認識を形成し、スムーズに目標に向かって取り組むことができるようになります。
9. 人的資本の定義を正しく理解して効率よく組織を成長させよう!
人的資本とは、従業員が保有する知識やスキル、ノウハウ、資格などを資本として捉える考え方を指します。人的資本に着目した経営を実現することで、持続的な組織の成長へとつなげ、よりステークホルダーから信頼された企業を目指すことができます。人的資本経営を実現するには、社内の人材育成や人事評価、労働環境などの見直しが必要です。また、人事管理システムやタレントマネジメントシステムを活用すると、自社の人材の能力やスキルを客観的に把握し、効率よく人的資本の向上に役立てることができます。