
「AIツールを導入した。でも思うように浸透しない。」各社のAI推進担当者と話すと、この言葉をよく聞きます。Geminiを全社展開した、勉強会も開いた、でも数ヶ月後には一部の意識の高い社員だけが使っている、という状態に陥ってしまうことは少なくありません。
AI推進には「まだ正解の型がない」「テクノロジーの進化スピードが極めて速い」という、他のプロジェクトとは根本的に異なる難しさがあります。この不確実な状況下でAI活用を全社に浸透させるためには、単なる「ツール導入」ではなく「組織文化の変革」として捉える必要があります。
この問いに真っ向から向き合っているのが、私がPMOとして関わっている「kube-AI(くべあい)」というkubellの全社プロジェクトです。まだ道半ばではありますが、kubellでの取り組みを踏まえ、全社AI推進についての現時点の考え方をまとめてみました。以下6つの要素に分けて説明していきます。

執筆者角田 剛史氏株式会社kubellパートナー 執行役員CAO
ソニーグループ株式会社、株式会社ディー・エヌ・エー、ベンチャー企業のコーポレート・経営企画・新規事業の各責任者を経て、2023年に株式会社kubell(当時 Chatwork株式会社)に入社。 グループ会社3社のコーポレート責任者を歴任し、現在はBPaaS事業を推進する株式会社kubellパートナーにて、執行役員CAOとして経営企画・コーポレート・ピープル領域を横断的に統括する。 多様な組織での知見を活かし、1,000名超の経営企画コミュニティ管理人、PIVOT『職種超分析』出演など、メディアやイベントを通じた情報発信も積極的に行っている。
X: @takeshisumida_
目次
① 経営コミット――AI活用を経営アジェンダの中核に置く
全社でのAI推進において、経営陣の強力なコミットメントは、何より重要です。kubellにおいても「kube-AI」が動き出した最大の理由は、これに尽きます。
中期戦略の冒頭には、「すべての戦略にAIを強く組み込む」と明記されています。これは単なるスローガンではありません。エンジニア出身でもあるCEOの山本が、全社員に対して直接このメッセージを伝えています。
重要なのは、それが一度きりのメッセージではないことです。半期に一度の全社総会では戦略や事業計画へのAIの組み込み方とその重要性を語り、全社のオンライン月次会議では最新のAIトレンドの共有、環境整備や新制度の告知などを定期的に行っています。
どのような仕組みづくりをしていくにしても、この点が抜けていると推進力は大きく弱まります。人事部門として、全社の巻き込みの前に、経営陣の巻き込みを確実に行いましょう。経営トップを適切に巻き込み、定期的に発信し続けることで、一過性の施策ではなく「会社の方向性として本気だ」というメッセージが全社員に伝わっていきます。
② 体制設計――「誰が動かすか」を正しく設計する
①の経営コミットがあったとしても、動かす体制がなければプロジェクトは机上の空論で終わります。
kubellではCEOを最終的なプロジェクトオーナーとしつつ、人事部門を含め、各部門からメンバーをアサインした横断体制を組成しています。最終的なオーナーシップを会社の代表が持つことで、「経営課題としてのAI推進」というメッセージが全社に伝わり、意思決定も迅速化されます。
各部門からのアサインは、現場への浸透を図るということ以上に、「全社の取り組みを統合・可視化する」という役割を担っています。お互いの動きが見えず、連携も適切に行われていない点の状態ではなく、それぞれが持つナレッジや取り組みを一箇所に集めた線や面の状態を作っています。
また、人の体制と合わせて、情報・コミュニケーションの体制も整えています。それまでAI関連の情報やノウハウが複数のチャットに散在し、結果的に「誰に何を問い合わせればいいのか分からない」状態にあったものを1つに集約しました。オンラインコミュニケーションにおいても、冗長となったり、非効率となったりしないよう、窓口を明確化しておくことは重要です。

③ 組織変革設計――ツール導入ではなく、文化形成として捉える
AIを「ツール導入」ではなく「組織文化の変革」として進めるために、変革管理のフレームワーク 「ADKAR(アドカー)」に基づき、5つのフェーズに応じた施策設計を行っています。

Awareness(なぜやるのか):
この観点においても、経営陣からの定期的な発信がまずは何より重要です。
また、AI推進の初期においては、組織ごとの対話型のワークショップの開催も有効です。経営陣のメッセージを咀嚼し、自部署におけるAIの重要性、活用可能性、そのために今日から何をしていくべきかを考えることは、大きな内発的動機付けになります。
加えて、kubellでは、新入社員向けのコンテンツ集を作成しています。過去のCEOプレゼン資料、AIに関する用語説明、セキュリティガイドライン、ツールの使い方などをまとめた自習用ガイドで、AwarenessとKnowledgeをまたぐ位置づけのものです。これにより、「AIは推奨ではなく必須のビジネススキルである」という会社のメッセージが、入社時から伝わります。
Desire(自分にとってのメリットは何か):
kubellでは、社内の「AIスキルレベル」を5段階で定義しています。こちらは後述する全社サーベイにも組み込まれており、自身のレベルが定期的に認識されるプロセスになっています。
また、一定のレベル以上にならなければ使えないツールも存在するため、「レベルを上げたい」という向上心が自ずと芽生える効果を意図しています。

Knowledge(どうすれば使えるのか):
前述Awarenessのセクションでも触れたコンテンツ集を展開しています。世の中には既に多くのコンテンツが溢れ返っており、どれがいいのか迷いがちです。それらを社員各自が探していては非効率なので、有用なコンテンツを予め選定しています。
また、コンテンツ集に無い最新情報も、②体制設計で触れたグループチャットで共有、最新のAI情報を、全社員がタイムリーに認識できる状態を作っています。
その上で、社内の優れた活用事例を選出し、月次会議にて紹介・表彰しています。「社内の他の人がどう使っているか」を具体的に知ることは、Knowledge向上において特に大きな原動力になります。
Ability(どう使いこなすのか):
横展開が可能な事例については、プロジェクトチームが最大限支援(アナウンスや進行の代行など)した上で、社内のAI活用者にできる限り個別の勉強会を開催してもらっています。
また、勉強会の範囲・時間を拡大した「社内AI Day」の開催も効果的です。あえて同じタイミングに学びに集中できる時間を設け、詳しい人がこれから始める人をサポートし、それぞれのレベルに合ったセッションに参加してもらう。そうすることで、AI活用への一歩をより踏み出しやすくなります。
一方で、Abilityのより直接的な向上には、各部署固有の業務に踏み込む必要があります。プロジェクトチームがそこに全て入り込むのは現実的ではないため、kubellでは「AIオペレーションマネージャー」の採用を拡大し、会社の体制として強化することも同時に進めています。

kubellで行った「社内AI Day」の様子
Reinforcement(どう継続させるのか):
文化は、日常のマネジメントの中に組み込まれてこそ定着します。kubellでは、各部署の「組織目標」にAI活用が組み込まれています。上述の経営コミットをただのメッセージで終わらせず、その進捗が組織長の評価にも反映される仕組みとなっています。
また半期に一度の社内表彰でもAI活用の要素は重視されており、組織長のみならず、全社員がAI活用と評価の連動を意識する形となっています。
加えて、広報部門との連携により、社外への情報発信にも力を入れています。AI活用についての外部からの認知・評価は、社員の誇りの醸成にも繋がるため、文化を形成していく上では重要な要素となります。
④ 環境整備――使える土台を、段階的に整える
いくら文化を醸成しても、十分に使える環境がなければ、当然ながらAI活用は進みません。その観点において、kubellでは、最初から完璧な環境を目指すのではなく、ステップを踏んで段階的に拡張していくアプローチを取っています。
まずは既存のGoogle Workspaceの契約をベースに、「Gemini」を全社員が使える状態にしました。追加コストを最小限に抑えながら「全員がAIに触れられる土台」をスピーディーに整えることを優先した形です。
その後、全社共通基盤では物足りない開発層に対して、「Claude Code」を部門限定で先行導入しました。そこでの反応・成果を見ながら、その後非開発職へも横展開しています。
なお、非開発職における「Claude」の利用には、AI活用レベルが一定以上であるという条件を設けており、これがスキルアップ(Desire)への動機付けとしても機能する設計になっています。
⑤ ガバナンス設計――安心して使えるルールをつくる
「何でも使っていい」という状態は、「情報の扱いは大丈夫か?」という不安を生み、結果として推進スピードを阻害します。ガバナンスは「使わせないルール」ではなく「安心して使うためのルール」として運用する必要があります。
kubellでは、まずは全体方針となる「AI利用ガイドライン」をセキュリティ専門部隊が作成し、情報区分別の入力ルール、禁止事項、インシデント発生時の対応フローなどを明文化して全社員に公開しています。
世の中に存在する50以上の各種AIサービスについても個別に事前評価し、「AIサービス評価一覧」として利用可否や注意事項を一覧化。社員が自分で判断できるようにすることで、問い合わせ対応コストを削減しつつ現場の自律的な活用を促しています。
一方で、そのようなテキストのマニュアルだけでは十分に制御できない点はどうしても存在します。そのためには、物理的にリスクを阻止するための「技術的ガードレール」を、情報システム部門、セキュリティ部門と連携しながら実装していくことが合わせて重要です。
⑥ 測定設計――感覚ではなくデータで変革を回す
打った施策の効果を感覚で測ることはできません。組織変革を正しく回すために、kubellでは、「全社サーベイ(主観データ)」と「システムデータ(客観データ)」の二軸で測定を行っています。
全社サーベイは、人事部門主導で約2ヶ月に一度ほどのペースで実施。単に利用頻度を聞くだけでなく、前述のADKARで目指す状態に基づいた設問を設計することで、施策の効果を定量的に把握しています。
加えて、各ツールの利用データ(プロンプト数やアクティブ率)をリアルタイムでトラッキングできるダッシュボードを情報システム部門と連携して内製。利用度合いについては、サーベイではどうしても主観的になってしまうため、事実を定量的に追いかけています。
また、そのダッシュボードを役職者に公開することで、自部署の活用状況を把握できるようにしています。日常のマネジメントの中で、自然にAI活用の会話を生む「自律のためのツール」として機能することを意図しています。

kubellにおける初期のサーベイ設問例
終わりに
SNSにはAIツールの活用事例が毎日溢れています。しかし、それを熱心にインプットし実践しているのは、一部の意識の高い社員だけ、というのが多くの会社での実態ではないでしょうか。
AIを個人ではなく組織の力にするには、ツールの導入や勉強会だけでは足りません。経営が本気でコミットし、組織変革として捉え、人事制度と連動した施策を設計する。この一連のプロセスがセットで機能して初めて、全社レベルでのAI活用浸透に近づけると考えています。
そしてこれらのアプローチは、SaaSのようなシステム導入の手法ではなく、まさにチェンジマネジメント(組織変革)であり、人事部門の主戦場そのものなのです。
AI時代における人事の役割は、単なる管理や制度運用にとどまりません。テクノロジーをテコにして社員と組織の可能性を最大限に引き出す「変革の推進者」としての立ち位置が求められています。
今回の記事が、全社のAI推進や組織変革に挑む人事部門の皆さまにとって、一つの指針となれば幸いです。
なお、AI推進を行う前の「業務整理の重要性」についても、以前に以下の記事にてご説明していますので、よろしければ合わせてご覧ください。
