ウェルビーイングが注目され始めたのは、ここ十数年のことです。日本でもウェルビーイング経営を掲げる企業が増えていますが、成功事例は多くはありません。
あの手この手で従業員のウェルビーイング向上を図っているものの、気付かぬうちに「落とし穴」にハマってしまっている企業も見受けられます。今回は、よくあるウェルビーイング経営の落とし穴について解説していきます。
執筆者齋藤 拓郎氏株式会社リンクアンドモチベーション・モチベーション エンジニアリング研究所・組織人事コンサルタント
慶応義塾大学卒業後、新卒で株式会社リンクアンドモチベーション入社。組織人事コンサルタントとして、企業の組織変革を支援。2021年よりリンクアンドモチベーションの研究機関「モチベーションエンジニアリング研究所」に所属。民間企業と教育機関や官公庁が繋がるコミュニティ「HRC教育ラボ」を設立し、学校教育と企業教育の垣根を超えた活動を推進。全国の小・中・高等学校・大学でキャリアに関する講演会や探求学習なども実施する。
目次
1.ウェルビーイング経営に手応えがないのはなぜ?
トヨタ自動車は、一人ひとりの従業員が生き生きと働ける環境づくりの一環として、従業員が自由に体育館やプール、フィットネスルームなどのスポーツセンターを利用できる制度を設けています。
ロート製薬では、健康維持および病気の予防に効果的だとされている「1日8,000歩と20分の速歩き」を推奨するため、全従業員に活動量計を配布して運動習慣の定着を図るとともに、従業員全員のウォーキングイベント「とこチャレ」を定期的に開催しています。
このように、大手企業を中心に従業員のウェルビーイング向上を図る取り組みが盛んになっています。しかしながら、こうした取り組みが形骸化したり、頓挫したりする例が少なくありません。日本企業のウェルビーイング経営で、よくある「落とし穴」が以下の2つです。
落とし穴①:高次の欲求(承認欲求や自己実現の欲求)を満たせていない
従業員のウェルビーイング向上を図る際、参考となる考え方が「マズローの欲求階層説」です。アメリカの心理学者であるアブラハム・マズローは、人間の欲求を5つの階層に分類しました。低次の欲求が満たされることで、その一段上にある欲求が生まれるというのが欲求階層説の主張です。
ウェルビーイング経営に手応えを感じていない企業にありがちなのが、低次の欲求である「生理的欲求」や「安全の欲求」を満たす施策に留まり、高次の欲求である「承認欲求」や「自己実現の欲求」を満たせていないパターンです。
たとえば、人間ドックの費用を補助したり、定期的にストレスチェックを実施したりしている企業は多いでしょう。ですが、こうした取り組みだけでは従業員の「承認欲求」や「自己実現の欲求」を満たすことはできません。
健康や安全は担保されていても、従業員が「日々の頑張りが認められない……」「自分のやりたい仕事じゃない……」といった悩みを抱えたままでは、第1回でもお伝えしたようなウェルビーイングは高まりません。
落とし穴②:事業成果につながっていない
ウェルビーイングの向上を図るうえでは、従業員のワークライフバランスを尊重することも大切です。
昨今は「ライフスタイルに合わせて出勤時間を変えたい」「集中できる早朝に働いて早く帰りたい」など柔軟な働き方を求める従業員が増えています。こうした要望に応えるために、フレックスタイムや時差出勤の制度を設けている企業も多いでしょう。
ですが、出勤時間がバラバラになることでタイムリーな情報共有ができなくなり、業務が遅延したり意思決定に時間がかかったりと、問題が生じるケースも少なくありません。従業員のウェルビーイングは向上するかもしれませんが、業務上、支障が出るような場合は再考が必要です。
リモートワークにも同様のことが言えます。
2020年のコロナ禍を機に、急速にリモートワークが広まりました。当初は、感染拡大防止のための取り組みでしたが、徐々にリモートワークのメリット・デメリットが議論されるようになります。
リモートワーク否定派の企業は、「生産性が低下する」「コミュニケーションロスによってミスが増加する」といった弊害を指摘しました。実際に、コロナ禍が収束し始めたタイミングでオフィス回帰の動きが目立つようになっています。
ウェルビーイングの向上を優先しても、事業成果が阻害されるようでは取り組みの継続できないでしょう。
2.ウェルビーイング経営は「従業員エンゲージメント」との両立がポイント
ウェルビーイングの向上を図るとき、セットで考えなければいけないのが「従業員エンゲージメント」です。従業員エンゲージメントとは、「会社と従業員の相互理解・相思相愛度合い」を表す概念です。
従業員エンゲージメントが高い組織では、従業員が会社に対して愛着や貢献意欲を持っており、「この会社をもっと良くしたい」「こんなことにチャレンジしたい」というように、やりがいや主体性を持って働いています。
慶應義塾大学の岩本隆教授は「ウェルビーイングが高くても、従業員エンゲージメントが低いと、ぬるま湯組織になってしまうリスクがある」と指摘しています。
同時に「従業員エンゲージメントが高くても、ウェルビーイングが低いと、燃え尽き症候群(バーンアウトシンドローム)に陥るリスクがある」と述べています。
※参考:THE MEANING OF WORK Vol.3|世界における人的資本の文脈
岩本教授の主張をマトリクスで示すと上図のようになります。
先ほどご紹介した2つの落とし穴は、まさにこの図でいう「ウェルビーイングは高い」が、「従業員エンゲージメントが低い状態」、と言えるのではないでしょうか。
つまり、ウェルビーイング経営を真に実現するには、個人のウェルビーイングを高める施策をおこなうだけでは不十分であり、従業員エンゲージメントを高める施策もセットで講じる必要があるということです。
3.「One for All,All for One」を実現する
当社は、組織人事コンサルティングを通して数多くの企業様をご支援していますが、その際に大事にしているのが、「One for All , All for One」という考え方です。
このフレーズは一般的に、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という意味で使われますが、当社が目指す「One for All , All for One」は以下のように定義しています。
・All:企業の成果創出
・One:個人の欲求充足
そして、企業の成果創出と個人の欲求充足を同時に実現することを、「One for All , All for One」というフレーズで表現しています。この双方を両立させることは企業経営において重要かつ普遍的なテーマです。
組織がAll(会社)に寄りすぎると、上意下達が強い「軍隊型組織」になってしまいます。軍隊型組織では「会社の言うことが絶対」とされるため、個人は疲弊し、メンタルヘルスの悪化や離職を招いてしまいます。先ほどの図で言えば「燃え尽き症候群」です。
逆に、組織がOne(個人)に寄り添いすぎると、居心地が良いだけの「サークル型組織」になってしまいます。個人の欲求を満たすために、わがままとも言えるようなリクエストまで受け入れていると、組織としての求心力が低下し、業績も悪化するなど、事業の存続が危ぶまれるような状況に陥ることもあります。先ほどの図で言えば「ぬるま湯」の状態です。
「さあ、ウェルビーイングだ!」という号令がかかると、どうしてもOne(個人の欲求充足)に目が向いてしまいがちですが、All(企業の成果創出)とのバランスを考え、両方の実現を図ることが重要です。
4.ポイントは「高いエンゲージメント状態の実現」と「高次元の個人欲求の充足」
当社は、以下の2点がAllとOneを同時に実現するポイントだと考えています。
・All(企業の成果創出):高いエンゲージメント状態の実現
・One(個人の欲求充足):高次元の個人欲求の充足
Allを高めるためには、従業員が会社のビジョンや目指す方向性に共感し、「ビジョン実現のために力になりたい!」と思える状態をつくること、つまり、エンゲージメントを高めて従業員の貢献欲求を引き出すことが重要です。
Oneを高めるためには、マズローの欲求階層説を念頭に、最低限満たすべき低次元の欲求だけでなく、従業員の自己実現に向けてキャリア開発をおこなうなど、高次元の個人欲求まで充足させることが大切です。
次回は、One(個人の欲求充足)に着目して、具体的な施策などについて解説していきたいと思います。