ウェルビーイング経営を推進するためには、従業員のニーズに応えることも大切ですが、わがままとも言えるようなリクエストまで受け入れていると、組織の求心力が低下し、経営に 影響を及ぼすおそれがあります。
ウェルビーイングを経営に取り入れる際 には、One(個人の欲求充足)ばかりではなく、All(企業の成果創出)にも目を向け、両方の実現(One for All, All for One)を図ることが重要です。
今回は、One(個人の欲求充足)にフォーカスして、企業が取り組むべきことをお伝えし ます。
執筆者齋藤 拓郎氏株式会社リンクアンドモチベーション・モチベーション エンジニアリング研究所・組織人事コンサルタント
慶応義塾大学卒業後、新卒で株式会社リンクアンドモチベーション入社。組織人事コンサルタントとして、企業の組織変革を支援。2021年よりリンクアンドモチベーションの研究機関「モチベーションエンジニアリング研究所」に所属。民間企業と教育機関や官公庁が繋がるコミュニティ「HRC教育ラボ」を設立し、学校教育と企業教育の垣根を超えた活動を推進。全国の小・中・高等学校・大学でキャリアに関する講演会や探求学習なども実施する。
目次
1.マズローの欲求階層説のおさらい
あらためて、第2回でお伝えした「マズローの欲求階層説」を確認しておきましょう。
この5つの欲求を、低次と高次に分類するなら、下の階層である「生理的欲求」と「安全の欲求」は低次の欲求で、上の階層である「所属と愛の欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」は高次の欲求となります。
「低次の欲求が満たされることで、その一段上にある欲求が生まれる」という欲求階層説の主張に基づくと、生理的欲求や安全に欲求につながる健康が損なわれた状態では、「自己実現したい」というモチベーションは湧いてこないということになります。
従業員の自己実現を支援するためには、大前提として心身の健康や身の安全を担保しなければいけません。
2.低次の欲求を満たすためにできること
従業員の低次の欲求を満たすため、企業はどのようなことができるでしょうか。事例とともに見ていきましょう。
生理的欲求にアプローチする事例
▼Google「社員食堂の提供」
Googleは、従業員の健康増進と生産性向上をサポートするために、無料の社員食堂やスナックバーを提供しています。栄養価の高い食事を提供することで、従業員の健康を増進し、活力の向上を図っています。
▼Nike「フィットネスセンターの設置」
Nikeは、本社のキャンパス内にフィットネスセンターを設置し、従業員に運動の機会を提供しています。運動やトレーニングの習慣化を促すことで、従業員の身体的健康の維持、活力の増進を支援しています。
安全の欲求にアプローチする事例
▼Volvo「工場内での事故防止策」
Volvoは、従業員の安全を最優先にすべく、工場内での事故防止対策を徹底しています。最新の安全技術を導入するとともに、定期的に安全訓練を実施することで、すべての従業員が安全に働ける環境を整備しています。
▼日立製作所「労働安全衛生マネジメントシステムの構築」
日立製作所は「安全と健康を守ることは全てに優先する」を基本理念とする「日立グループ安全衛生ポリシー」を策定しています。労働安全衛生マネジメントシステムを構築するとともに、メンタルヘルスケアにも力を入れ、従業員の安全を守っています。
3.高次の欲求を満たすためにできること
上述のとおり、高次の欲求はマズローの欲求階層説で言うところの、「所属と愛の欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」の3つです。
所属と愛の欲求とは、「他者とつながりたい」「愛情を与えたい・受けたい」といった欲求です。承認欲求とは、「他者から認められたい」「尊敬されたい」といった欲求です。自己実現欲求とは、「能力・才能を最大限に発揮し、自己成長を遂げたい、目標を達成したい」といった欲求です。
これらの高次の欲求を満たすため、企業はどのようなことができるでしょうか。事例とともに見ていきましょう。
所属と愛の欲求にアプローチする事例
▼ZOZO「部活動支援制度」
ZOZOは、社内の部活動に対して、活動費用の一部を支給する「部活動支援制度」を設けています。スポーツなど、共通の趣味を持つ従業員同士の交流を促し、コミュニティづくりを支援しています。
▼Zappos「家族文化」
Zapposは、従業員の幸福感を高めるために、「家族文化」を大切にしています。上司と部下の距離を縮めるべく、フラットな組織構造を採用し、誰もが自由にアイデアを共有できる環境を整備するとともに、従業員同士の関係性を深めるため、積極的に社内イベントや社内ミーティングを実施しています。
承認欲求にアプローチする事例
▼Salesforce「V2MOMに基づいた表彰制度」
Salesforceは、従業員の貢献を称賛するために「V2MOM」(Vision, Values, Methods, Obstacles, and Measures)という目標管理フレームワークを導入し、成果を明確に評価しています。そして、四半期ごとに優秀な従業員を表彰する場を設けており、トップパフォーマーに報奨として旅行などを与えています。
▼メルカリ「ピアボーナスの仕組み(mertip)の導入」
メルカリは、スタッフ同士でリアルタイムに感謝、賞賛し合うと同時に、インセンティブとして一定額の金額を贈り合えるピアボーナスの仕組み「mertip」を導入しています。
メルカリには四半期ごとにThanksカードを贈り、感謝を伝え合うAll for One賞の文化が元々ありますが、mertipを導入することによって、拠点を越えてもっと気軽に、リアルタイムに賞賛し合える会社になろうという点から導入を行っています。
自己実現欲求にアプローチする事例
▼Google「20%ルール」
Googleは、労働時間の20%を自由な研究開発に充てることができる「20%ルール」を設けています。自分の興味や能力を活かして新しいプロジェクトに取り組み、自己実現へとつなげる機会を従業員に提供しています。
▼伊藤忠商事「チャレンジキャリア制度」
伊藤忠商事が設けている「チャレンジキャリア制度」は、従業員が異動希望を上司に申告し、異動先部署との面接を通過することで、垣根を越えた異動を実現できる制度です。従業員の主体的なキャリア形成を支援することで、自己実現をサポートしています。
4.企業と個人は「相互選択関係」が理想である
ここで問いたいのが、「従業員個人の自己実現を、会社がどこまで後押しすべきか?」という点です。あの手この手を尽くして後押ししないと従業員が動かないようであれば、それは、従業員が会社の制度や待遇に「依存」している状態であるとも捉えられます。
企業も「そうしなければ人材が定着しない」という理由から制度を構築してしまうと、ゆくゆくは企業と個人が「相互依存関係」に陥る可能性もあります。
当社は、企業と個人は「相互依存関係」ではなく、「相互選択関係」であると考えています。個人が、自分が実現したいこと(キャリアビジョン)を描き、そのキャリアビジョンに近い理念・ビジョンを掲げている会社を選び、そこで自分と会社のために働いている状態が理想です。
つまり、会社が従業員の自己実現を後押しすると同時に、従業員はキャリア自律を意識しなければいけません。
当社が、従業員のキャリア自律を促すために提唱しているのが「アイカンパニー」という考え方です。アイカンパニーとは、自分自身を「自分株式会社」の経営者として捉え、自立的かつ主体的に自らのキャリアを形成していくことを意味します。
具体的には、勤務先企業は「設立登記先」、自分の給料は「売上」、上司は自分の「株主や顧客」というように考えます。経営というメタファーを用いることで、キャリアを考えやすくなるでしょう。
アイカンパニーを成長させるためには、自社の強みや弱み、課題やビジョンなどを、「やりたいこと(Will)」「やれること(Can)」「やるべきこと(Must)」の3つの輪で整理し、3つの輪の重なりを大きくしていくことが必要です。
当社でも、アイカンパニーを軸にしたキャリア支援体系を整備しています。具体的には、すべての従業員がアイカンパニーを設立し、その経営計画書(自身のキャリアビジョンや、それに基づいた異動希望など)を会社に提出する「i-Company Report」という施策があります。
また、経営計画の実現に向けて会社に提案をする「i-Company Challenge」を年に1回実施しています。こうした取り組みを通して、従業員自らが実現したいキャリアビジョンを描き、それに基づいてキャリアを「自己選択」することで、会社と個人が「相互選択関係」を築けるように努めています。
従業員の自己実現欲求を満たすためには、前提として、従業員が「自分のキャリアにおいて成し遂げたいこと」を言語化できていなければいけません。会社の制度や待遇は、それを後押しするものでしかないのです。
5.おわりに
従業員の自己実現を支援したいのであれば、会社がキャリアパスを提示したり、働き方の多様性を提示したりと、1から10まで段取りをする必要はありません。
それよりも重要なのは、一人ひとりの従業員に「自分の手で自分の未来をつくる」というマインドを醸成し、キャリア自律を促すことです。
以下、参考までに『世界の一流は「休日」に何をしているのか』の一説を紹介します。
「日本のビジネスパーソンは、仕事と私生活を『対立構造』で考えがちだが、マイクロソフトのエグゼクティブは、休日を休息のための時間ではなく、仕事で成果を上げるための『原動力』と考えている。」
出典:越川慎司『世界の一流は「休日」に何をしているのか』(クロスメディア・パブリッシング)
次回は、All(企業の成果創出)にフォーカスして、企業がやるべきことをお伝えしていきたいと思います。