人的資本の情報開示について各社が対応を迫られた2023年。
自動車産業をはじめ、あらゆる産業のDX課題解決に取り組むナイル株式会社では、未上場企業でありながらも、2023年8月に人的資本に関する情報開示をおこないました。
ナイルが人的資本の情報開示に取り組み始めた背景や、具体的な実践プロセス、今後の展望についてどのように考えているのか、同社の執行役員でカルチャーデザイン室室長の宮野さんに伺いました。
宮野 衆 | ナイル株式会社 執行役員 人事本部 カルチャーデザイン室 室長
新入新卒で株式会社VOYAGE GROUP(現・株式会社CARTA HOLDINGS)に入社。広告営業、マネージャーを経て、コーポレートカルチャー室を設立。2017年10月よりCCO(Chief Culture Officer)に就任し、カルチャー・人事領域を担当。2021年9月にナイルへ入社、カルチャーデザイン室を立ち上げる。同年12月に執行役員に 就任。カルチャー醸成や企業ブランディングを中心に、採用企画、広報、総務、組織活性などを担当する。
人が価値を生み出す源泉だからこそ、採用候補者に情報を届けたい
ーナイルが今回人的資本に関する情報を開示するに至った経緯を教えてください。
宮野さん:2023年頭に、上場企業を対象として2023年3月期決算の企業から人的資本に関する情報開示が義務になるというニュースが出た時は、大きなインパクトがありました。
ナイルは上場企業ではないので開示義務の対象ではありませんが、採用の観点から積極的に開示していきたいと考えていました。
前提として、ナイルはこれまでも採用オウンドメディアなどを通じて2018年から200本以上の記事を公開するなど、積極的に社内の情報を届けてきました。
採用候補者に向けて働く魅力を伝えたい、適切なマッチングを生み出したい、という思いからスタートしていますが、情報をオープンにするのはナイルの行動指針であるバリューの一つ「OPEN THE MIND」を体現する意味合いも大きいです。
ーそれで採用候補者への情報発信として開示したと。
宮野さん:そうです、昨今の「人的資本の情報開示」だと、上場企業が投資家を意識した企業価値向上のための開示という認識が強いですよね。
なので、今回未上場であるナイルでは人的資本の情報開示とは言わず「人と組織に関するレポート」として採用候補者を意識した資料という形で公開しました。
ーそこまで採用を意識する背景は何でしょうか。
宮野さん:ナイルはベンチャー企業であり、Webコンサルティングやメディア運営など無形商材によるビジネスや、車のサブスクリプションサービスや生成AI活用コンサルティングなど市場や時代における新規性の高いビジネスをおこなっています。
そこでは人が価値を生み出す源泉です。社員一人ひとりが活躍し、パフォーマンスを発揮することが企業成長と大きく直結しています。そのため採用は企業活動の根幹だと考えています。
複数事業を抱え260名を超える組織規模になっていますが、代表自らも今も採用に関わるなどコストとパワーをかけていますし、候補者が入社した後も一人ひとりが思い切り挑戦できるように、働く環境づくりにも注力しています。
その結果、働きがいのある会社ランキングや、転職口コミサイトで上位に位置するなど、対外的にも評価されるようになりました。
ー未上場のベンチャー企業として、情報開示に当たっての課題はありましたか?
宮野さん:課題はたくさんありましたね。上場企業と比べると人に関する数値データがしっかりまとまっていなかったり、事業や会社の変化が速い上に大きいので、ストーリーや戦略を公開しづらいという点は難しい点でした。
また、多くのベンチャー企業においては、広報・人事・経営企画、誰が旗を振るのか・どう連携するのか、そもそも組織が安定していないので開示項目によっては企業イメージの低下につながることが予想される….など、いざ作ろうと思っても悩ましい点も多くあるかと思います。
ナイルでは、この人的資本元年となったタイミングを機に、取り組みを整理し、中長期の方針を考える良い機会として、ポジティブに捉えて取り組むことにしました。
未上場のベンチャー企業であれば、組織規模もまださほど大きくないことから部門間調整も比較的しやすい場合も多いでしょう。
対話しながらゼロから作っていくのは、ある意味上場企業よりやりやすい側面もあるのではないでしょうか。
「事実を、オープンに、中立に」をキーにした情報開示
ー今回の「人と組織に関するレポート」での実際の開示内容を教えてください。
宮野さん:まずは前提となる経営理念、企業沿革、組織の定量データにより、ナイルの全体像を把握できるようにした後、「人と組織に関する考え方」として一連の取り組みの柱となる採用・育成・活性・生産性という各テーマを説明し、最後にこれからのナイルの注力点に関して記載しました。
「人と組織に関する考え方」では、挑戦と学びを大切にするカルチャーというのがナイルのベースとなる考え方だと、改めて資料を作るなかで言語化できた部分だったので、これが伝わるようにデータもピックアップしました。
一連の資料では、組織サーベイデータは20項目、組織の定量データを10項目、18の制度や取り組みを紹介しています。
ー実際にレポートを出すまで、具体的にどういうプロセスで進めたのでしょうか。
宮野さん:2022年末から準備を始め、私のチームメンバーと2名でプロジェクトをスタートしました。
最初の2ヵ月では人的資本に関する複数の書籍や、政府や金融庁が提示しているガイドラインを読み込んでいくのと同時に、先行して情報開示をおこなっている大手の事例を統合報告書などから集めて調べていきました。またこの時点で、取締役や社外取締役にもヒアリングしながら、おおまかな方向性を見定めました。
その後、労務などと連携して人に関する数値データを整理し、ナイルとして開示する情報を選定していきながら、全体の骨子を作り込んでいきました。ここまででだいたい4ヵ月くらいです。
その後、骨子をもとに経営陣と中長期で取り組むべき指針を議論して擦り合わせし、最終的なアウトプットをデザインに落とし込むという流れになりました。なのでトータルで半年程度かかりましたね。
ーレポート作成に当たり、特に意識した点やこだわった点はありますか。
宮野さん:こだわったのは「事実を出そう、オープンでいよう、中立でいよう」という3点です。
まずは「事実を出そう」という点ですが、ナイルでは四半期ごとに組織サーベイを実施しており、この数字を多く盛り込みました。
どんな取り組みをしているかも大切ですが、それに対し社員自身がどう感じているかという結果としての事実が重要だと思ったからです。
四半期ごとの組織サーベイでは、定期的に数値の変化を確認したりさまざまな施策の効果が出ているのかを見極めたりと、次の施策に活かすために活用しています。
この組織サーベイの数値はある意味、最も正直にナイルの健康状態を表すものだと思い、積極的にレポートに組み込むことにしました。
ー「オープンでいよう」は、男女賃金差や育休取得率、退職率など幅広く開示しているところでしょうか。
宮野さん:はい。良いことばかりを出すのではなく伸びしろがある点も含めて、ありのままを開示しようという点は最初から決めていました。
記載項目については、上場企業の有価証券報告書で記載が義務付けられるようになった、「人材育成方針」「社内環境整備方針」「女性管理職比率」「男性の育児休業取得率」「男女間賃金格差」の5つについても触れています。
その中でも管理職比率や男女の賃金格差は、ナイルではまだ伸びしろがある数値だなと認識しています。ただ実態がこの数値なので、ありのまま開示しています。平均勤続年数や退職率も同様ですね。
良く思われそうな情報だけを恣意的にピックアップして公開することは簡単ですが、採用候補者の方の入社後のミスマッチにつながったりと、結果として双方が良くないことになりかねません。
もちろん、他の企業と比較すると優れている点や注力している点・工夫している点ももちろん記載しています(笑)。
特にナイルでは、eNPS(※)において企業平均は-40から-20といわれる中、-1という比較的高い数値だったので、これは社員の満足度が高い結果が表れていますね。
ー最後の「中立でいよう」はどういう点でしょうか。
宮野さん:各項目において企業としての解釈を加えすぎず、事実に対して読み手側の感覚で判断してもらおうという点です。
例えば、社内アンケートで「仕事を通じた成長実感がある」という問いに対して、社内では77%が「そう思う」と回答していますが、この数値を高いと感じるか低いと感じるかは人それぞれだと思うんですよね。
「3/4以上なら素晴らしい」もしくは「8割もいないのは改善対象だ」と思う方もいるでしょう。どう受け取るかはその人の感覚にゆだねようと思いました。
そのため、ナイルとして各項目の解釈をおこなわずに、フラットにデータのみを開示することを意識しました。レポートを見た方の視点で、できるだけバイアスをかけずにフラットに受け止めてもらえたほうが良いなと。
疑問や意見がわくことが重要で、その気づきにこそ個人の感覚や重要視するポイントが出てくると感じます。ぜひ選考の場で質問してみてほしいですね。
急成長を見据えるベンチャーだからこそ、棚卸しと未来に旗を立てる機会に
ー公開して反響はありましたか。
宮野さん:実際に採用候補者からは「人的資本に関する情報をここまで公開していたので、興味がわいた」という声も寄せられています。採用候補者の中で応募を検討する企業として横並びになったときに、一歩踏み込める施策になったのではないでしょうか。
また社内からも「データとして改めて見ることで社内の解像度が上がった」「いろんな取り組みが連動しているんだなと、その意義がわかった」などの声がありました。
組織が急拡大すると、組織の実態をつかむのも難しくなります。社内外がナイルの現在地を把握するいいチャンスだったようにも思えます。
ー今後の開示について目指すことはありますか。
宮野さん:資料では最後に、未来に向けて中長期で特に注力していく項目として4項目を挙げました。
どうしてそこに注力するのか背景も含めて丁寧に開示することは意識していた点ですが、今後資料を出すときには期限と定量的な目標も加えて開示できればと思っています。
まず今できる人的資本の可視化はおこなえたので、今後一過性ではなく定期的な組織課題整理の場として、人的資本の情報開示を活用したいと思います。
ー人的資本の開示を考える企業もますます増えそうですね。
宮野さん:ナイル社内でも経営観点・採用観点からメリットは多くあったので、ぜひ未上場企業でも一度取り組んでみると良いのではないかと思います。
- 人的資本への取り組みは即効性はなく中長期で行うものだからこそ、組織が小さいうちから可視化・言語化して取り組むことで優位になる。
- 現在の組織情報を可視化し中長期の計画を立てることで、情報の棚卸しに加え弱みと強みを見つけ、目標を立てるきっかけになる
- より採用が事業成長に直結するベンチャーだからこそ、自社のカルチャーや人への投資の取り組みを公開することで、適切な人材を惹きつけることにつながる。
開示には手間も時間もかかりますが、一度棚卸しして考えてみることで、新たな気づきがあるのではと思います。