
2026年7月1日に引き上げられた障がい者法定雇用率。「法定雇用率を満たすため」の採用に奔走する企業も少なくない中、特例子会社や現場の最前線で問われているのは、障がい者雇用を個別の施策として捉えるのではなく、多様な人材が能力を発揮できる組織へと変革していくことです。
本企画では、エプソンのダイバーシティ経営を統括する執行役員の根村様を迎え、特例子会社での活動を経営の視点からどのように位置づけ、人的資本経営につながる組織づくりや価値創出をどう進めてきたのか、一歩進んだダイバーシティ経営の実践知を伺います。

登場人物根村 絵美子氏セイコーエプソン株式会社 執行役員 / サステナビリティ・ コーポレートコミュニケーション推進室長 / ダイバーシティ・組織カルチャーデザイン部 部長
2005年、セイコーエプソン入社。プリンターのマーケティング部門、センシング製品の新規ビジネスの立ち上げ、グローバルコーポレートマーケティング部門を経て、2022年にダイバーシティ推進プロジェクトへ異動。セイコーエプソングループにおけるDE&Iの推進と組織カルチャー変革を担当。2025年4月、ダイバーシティ・組織カルチャー・人権担当の専門役員に就任。同年10月、サステナビリティ・コーポレートコミュニケーション推進室長、2026年4月、執行役員に就任。
1. 数から質へ。セイコーエプソンが進める障がい者活躍推進とは
− 根村さん、本日はよろしくお願いします。早速ですが、2026年7月1日を迎え、法定雇用率がさらに引き上げられました(2.5%→2.7%)。現在のセイコーエプソン様における障がい者雇用の取り組みや、根村さんの現在の役割についてお聞かせください。
根村さん:法定雇用率の0.2ポイントの引き上げは、当社としても非常に大きなインパクトとして捉えています。当社の障がい者雇用率は、以下のような推移です。

引用:コーポレートウェブサイトより
当社では長年培ってきた障がい者雇用の知見を土台に、2023年頃から障がい者活躍に向けた取り組みを本格化しました。それまでは「2025年に法定雇用率3.0%」という目標を掲げていましたが、同時に、そもそも「数字だけを追いかけるべきなのか」という本質的な部分についても議論をしていました。
企業として法定雇用率を遵守することは大前提であり、重要だと思います。しかし、それだけでは法定雇用率を満たすために採用することになってしまいます。それは、当社の「一人ひとりが能力を最大限発揮できる組織を目指す」方針とは乖離しています。
短期的な数値目標だけではなく、「質」を重視し、入社後の定着や活躍まで見据えた中長期的な視点で考えていく。そのために、目標を「2030年に法定雇用率3.0%」と再設定したことは、当社の障がい者雇用における大きなターニングポイントだったと思います。
現在、当社は法定雇用率を達成しています。一方で、今後の法定雇用率の引き上げや退職者数の推移などを踏まえると、継続的な達成は決して容易ではないと認識しています。障がいのある方を雇用し、活躍まで見据えると、組織や個人の意識を変えていくことも必要で、時間はかかります。しかし、中長期的な目標を設定しながら、エプソンらしく着実に進めていきたいと考えています。
2. 特例子会社と二人三脚で挑む意識改革
− ありがとうございます。続いて、特例子会社であるエプソンミズベ様との関係性について伺わせてください。根村さんは本社(経営・人事)の立場から、具体的にどのようなサポートやアプローチをされているのでしょうか
根村さん:私たちセイコーエプソンはグループ全体の障がい者活躍を推進する立場として、エプソンミズベと密接に連携しています。代表である上條と社員の意識改革や組織づくりについて日常的に議論を重ね、現場にも入り込みながら一緒に取り組みを進めてきました。一方で、私たちが答えを示すのではなく、エプソンミズベ自身が考え、主体的に行動できるよう伴走することを大切にしています。

エプソンミズベ代表の上條様(写真左)と根村様(写真右)
エプソンミズベは、従来は障がい者雇用を支える役割を中心としており、事業として価値を創出していくという視点は、必ずしも十分ではありませんでした。ビルクリーニングを中心とする定型業務が多く、「働いて成果を創出し、バリューチェーンに貢献する」という実感を持ちにくい面もありました。
私がエプソンのダイバーシティ推進を担当したタイミングと、上條がエプソンミズベの代表に就任した時期がちょうど重なりました。そこで、「社員一人ひとりが、自分たちの仕事の価値を実感し、主体的に力を発揮できる組織にしていこう」と方向性を共有し、現場や本社も巻き込みながら、一歩ずつ取り組みを進めてきたことがすべての始まりだったと思います。
− 現場の意識改革について、根村さんが意識されているポイントはありますか?
根村さん:何よりも重要視していることは「成功体験の積み重ね」です。
周囲も本人も、最初から「これ以上のレベルの業務はやれない」と決めつけてしまったら、可能性はずっと閉ざされたままです。しかし、実際にチャレンジしてみることで、新たな可能性や強みに気付くことができます。その成功体験の積み重ねが、主体性や自信につながると感じています。
そのため、まずは私たち本社側から新しい業務を依頼し、実際にトライしてもらうことから始めました。スタート時は「本当にやりきれるだろうか」という不安も正直ありましたが、結果としては非常に素晴らしい成果を上げてくれました。

エプソンミズベで制作されたスライド資料
実績を積み重ねることで、セイコーエプソンの事業部や本部における意識や評価も徐々に変化しています。その結果、エプソンミズベへの発注を検討する動きが広がり、現在ではRPAによる業務効率化支援サービスなどに多くの注文が寄せられるなど、取り組みが着実に広がっています。エプソンミズベ側でも、ビジネスにおける『仕事としての価値創出』が社内でしっかりと認められたことが現場の社員にとって大きな自信となり、マインド変革の確かな一歩になったと感じています。
さらに、この『仕事としての価値』を正当に評価するため、価格設定のあり方についても議論を進めています。これまでは、業務に掛かった工数や時間に対してお金(対価)を支払っていましたが、彼らが生み出した成果や付加価値に対してきちんとお金を支払う仕組みに変えていくことも重要だと考えています。その結果、「効率化」という言葉も、エプソンミズベ内で聞かれるようになってきました。
− このような変革や新しい挑戦を進めていく上では、現場で直接社員の方々とコミュニケーションを取る、エプソンミズベ様の上條さんの役割が非常に重要だと感じます。変革や新たな挑戦を進めるにあたり、上條さんとはどのように連携しながら取り組みを進めてこられたのでしょうか。
根村さん:実を言うと、私たち本社側も最初から障がい者活躍に関する知見を豊富に持っていたわけではありませんでした。そのため、まずは上條と一緒に先進的な取り組みをされている他社を見学させていただくことから始めました。
他社で実践されているリアルな現場を見ることで、「自分たちにもできるはずだ」というイメージが湧きます。見学をきっかけに、エプソンミズベ側でも「自社でさらに改善できることはないか」と考えるようになり、ときには自発的に他社へ足を運んで気づきを得るような好循環が生まれていきました。
また、私たち自身も他社を見学する中で、「私たちは本人への配慮を優先するあまり、必要以上に支援をしていたのかもしれない」という気づきもありました。他社では障がいのある方が自ら判断しながら行っているような業務でも、エプソンミズベではサポートスタッフが先回りして準備をしているケースがありました。これでは障がいのある社員から成功する経験や、失敗から学ぶ経験という成長の機会を奪ってしまっています。
こうした気づきを現場のスタッフやマネジメント層ともしっかりと共有し、会社としても経営層に上げていくなど、特例子会社の中だけに閉じ込めるのではなく全社に向けて発信していくことも重要な役割だと考えています。
3. 重要なのは「考えるきっかけ」を用意すること
− 一般の社員に対しても、エプソンミズベ様に関する情報発信や相互理解の機会を設けられているのでしょうか?
根村さん:全社員を対象に、希望者がエプソンミズベについて理解を深められるよう、オンライン説明会や実際の職場を見学できる機会を提供しています。グループ内にある特例子会社の紹介にとどまらず、一般の社員が「自分たちの普段の仕事」と紐づけて、エプソンミズベの存在や役割を理解してもらえる良い機会になっていると感じています。

エプソンミズベの職場体験の様子
こうした取り組みは、最初は伴走しながら、自走できるように徐々に任せていくというスタンスを意識しています。エプソンミズベ自体で考え、行動するきっかけを提供すれば、一人ひとりが主体的に動き、最後までやり遂げることができます。私たちは、活躍できる場や機会を提供することを大切にしています。
− 「最初の一歩を一緒に進めていく」「その後は任せていく」というのがセイコーエプソン様らしいなと思います。取り組みを進めていく中で、本体であるセイコーエプソン様側の意識変革にもポジティブな影響を与えているのでしょうか?
根村さん:取り組みを始めた当時は、障がい者活躍の推進に対する理解や認識はまだ十分とは言えず、その意義を社内に広げていくことも重要なテーマでした。そこで、2024年に障がい者活躍を推進するキーパーソンを集めて社内ワークショップを実施しました。
大学教授や専門家を交え、社内における職場のマネジメントの課題や合理的配慮についてざっくばらんに意見を交わしました。本社の役員やエプソンミズベの社員も参加することで、お互いの理解を深める場となりました。

社内ワークショップの様子
会社全体として推進する施策であることを社内に示すことができたことで、各事業部・本部でも理解や協力が少しずつ広がっていると感じています。2024年から実施している障がいのある学生や就労移行支援施設の方の就労体験も、多くの職場の協力を得ながら進めることができています。
4. 多様な人材が力を発揮できる組織へ
−ありがとうございます。これまでお話いただいたことも踏まえて、根村さんが今、次なる目標として据えていることは何でしょうか?
根村さん:具体的なステップとしては、まずは本社の職場に就労体験に来てくれた方の中から、実際の採用へと繋げていくことです。私たちがこれまで進めてきた組織づくりや相互理解の取り組みを通じて、障がいのある方と会社の双方が納得し、互いに選び合える採用につなげていきたいと考えています。
そのためには、受け入れる職場の理解や組織づくりだけでなく、障がいのある方自身が仕事を通じて成長し、自らの可能性を広げていこうとする意識を育んでいくことも大切です。
そして、その前提となるのは、一人ひとりが能力を発揮し、価値を生み出せる仕事や役割があることです。就労体験を通じてお互いを理解し、その人が活躍できる仕事につなげていく。この一連の流れを仕組みとして定着させていきたいと考えています。
−昨今、「人的資本経営」という言葉を耳にする機会も非常に増えています。セイコーエプソン様において、ダイバーシティ(障がい者活躍)と人的資本経営はどのような関係にあるとお考えですか。
根村さん:障がい者活躍はESGや社会的責任の文脈で語られがちですが、私たちは、人的資本経営の重要な取り組みとして位置づけています。多様な人材がそれぞれの強みを発揮できる環境こそが、組織の創造性や生産性を高め、企業価値の向上につながると考えているからです。
成長のステップやスピードは、一人ひとり異なります。会社は、それぞれの特性や状況に応じた機会や選択肢を用意し、一人ひとりも主体的に挑戦しながら成長していく。その積み重ねによって、それぞれが能力を最大限発揮できる組織を目指しています。
障がい者活躍を一つの局所的な施策とするのではなく、全社的な人事制度や職場環境の改善と繋げながら着実に取り組みを進めていくことが重要だと考えています。その積み重ねが持続的な組織の成長につながるのではないでしょうか。
−まさに、一人ひとりの可能性を最大化する人的資本経営の実践ですね。それでは最後に、HR NOTEの読者である人事・経営者の方々に向けてメッセージをお願いいたします。
根村さん:私は人事一筋で歩んできたわけではありません。だからこそ、人事という仕事が会社のカルチャーや価値観を形づくり、一人ひとりの成長や組織の未来を支えていることを、あらためて強く感じています。
人事は、これまで培ってきた専門性や経験を土台にしながらも、時代や社会の変化に合わせて新しい視点を取り入れ続けることが大切な仕事だと思っています。組織に大きな変化を一度に求めるのではなく、現場との対話を重ねながら、一歩ずつ組織をより良くしていくことを大切にしたいと考えています。
人事という仕事には、組織や人の可能性を引き出す大きな力があります。その価値を大切にしながら、私自身も人事の皆さんとともに学び、セイコーエプソンらしい変革に挑戦していきたいと思います。
