「女性活躍推進」の重要性が叫ばれながらも未だ遅々として進まない昨今。
そんな中、出産時に感じた身体的な痛み、訴えを軽視された著者のアヌシェイ・フセイン氏自身の経験をきっかけに、医療ケアにおける性差別・人種差別に切り込んだノンフィクション『「女の痛み」はなぜ無視されるのか?』(晶文社)が刊行。
その刊行を記念して、女性活躍推進に向けて多方面でご活躍されている有識者の皆さまをゲストに迎え、2022年11月8日(火)〜10日(木)での3夜連続トークセッションを開催。
「あらゆる立場の女性の痛み」に向き合い、深く切り込んだ本イベントを全3回にわたる連載記事としてレポートします。
第2回目は「一人の女性としての痛み」をテーマに、女性の声が軽視されがちな現代社会について議論。
グローバル化や政府方針に則って、CSRの観点からなど、様々な理由で「性別問わず活躍できる組織づくり」を目指している企業担当者の方は、無意識バイアスを取り払い、女性の声とまっすぐ向き合うためのヒントとしてぜひお役立てください。
【ファシリテーター】 シオリーヌさん(性教育YouTuber/助産師)
総合病院産婦人科、精神科児童思春期病棟にて勤務ののち、現在は学校での性教育に関する講演や性の知識を学べるイベントの講師を務める。性教育YouTuberとして性を学べる動画を配信中。2022年10月性教育の普及と子育て支援に取り組む株式会社Rineを設立。著書『CHOICE 自分で選びとるための「性」の知識』(イースト・プレス)『こどもジェンダー』(ワニブックス)ほか。
【ゲスト】石川 優実さん(俳優/アクティビスト)
高校時代にスカウトされ、芸能活動を開始。グラビア活動で受けた性被害を告発し、#MeToo運動を展開。2019年、職場でヒールやパンプスを義務付ける行為は女性差別にあたるとして発信したツイートが#KuToo運動として広がり、厚生労働省へ署名を提出。同年、英国BBCの世界の人々に影響を与えた「100Women」に選出。著書『#KuToo 靴から考える本気のフェミニズム』(現代書館)、エッセイ『もう空気なんて読まない』(河出書房新社)
書籍紹介
出産時に感じた身体的な痛み、訴えを軽視された著者のアヌシェイ・フセイン氏自身の経験をきっかけに、医療ケアにおける性差別・人種差別に切り込んだノンフィクション。
「女の痛み」が軽視されている事実や、コロナ禍でマイノリティの人々が受けた影響などをあらゆるデータ、記事、証言をもとに執筆。
●著者:アヌシェイ・フセイン
●訳者:堀越英美
●発売日:2022年10月12日
●定価:2,200円(本体2,000円)
●発行:株式会社晶文社
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目次
女性の意見はヒステリックに聞こえがち?
本書でも、女性の怒りがヒステリーと言われてしまう現状について描かれていましたが、「ヒステリック」という言葉は、女性に対して使われることの多い言葉だなと感じます。
自分の感情を包み隠さず声を大にして発信してるような人に対して、「ヒステリックな人だなぁ」みたいな。
どうして「悪口」という意味として使われるんでしょうね。
そうですね。なんとなく、感情的であることを嫌がる風潮はありますよね。バカにされるというか。
現代の日本社会に蔓延っている冷笑主義とかと通ずるものなのかなって思ったりもしますが。
感情を持って話すことに対して、何か悪いことのように言われることってあるけれど、それって単純に人間である証拠だと思うんです。
それを否定されるってことは「そもそも人間として見られてないってこと?」みたいな風にたまに考えちゃう時があります。
確かに。エモーショナルな人が、なんか冷ややかな目で見られてしまう風潮はありますよね。
もしかしたら日本特有のものなのかも。
感情を表現することを否定しない社会へ
グッと我慢することが美徳とされていたりとか、感情表現を我慢しない人は忍耐力がないと見なされて批判の対象になることもありますよね。
でも、自分が何に対して嫌だと思うのか敏感にキャッチできるセンサーは結構大事だと思いませんか?
本当に大事だと思います。社会人のみなさん全員に言えることではありますが、特に男性はそういうのすごく押さえ込まれている気がします。「男なら泣き言を言うな」という言葉にも象徴されているように。
教育の中でも「自分が今何を思っているのか」といった、自分の気持ちを大事にするという観点が抜けちゃっているように感じますね。
確かに。例えば道徳の教科書とかでも、自分よりも友達のために地域のためにといったことが多く書かれているんですけど、まず最初に「自分のために」があってもいいと思うんですよね。
人に迷惑をかけないようにという意識が一番に来ちゃって、「自分自身に迷惑がふりかかっちゃってる」んですよね。
でも自分自身ではそういったところに気づかずに、原因が分からないまま心が病んでいってしまうということもあると思うので、女性に限らず男性も、自分の感情をもっと大事にする文化になってほしいなとずっと思ってます。
これは単に「男性が」「女性が」という大きな主語で話せないことかもしれないですが、精神科で看護師として働いていたときに「男性の方が感情の言語化が苦手な傾向にある」という話を耳にしたことがあります。
同じうつ病の患者さんでも、女性の患者さんは「こういう風に言われて私は悲しくて」とか「この体験がトラウマティックになっていてつらい」といった感じで、感情を乗せてお話ししてくださることが多いけれど、男性の患者さんは「パワハラに遭いました」「上司と気が合わなかった」といったように「それを受けて自分はどう思ったのか」の、気持ちの部分が全然出てこないと。
具体的なデータとして裏付けがあるのかはわからないのですが、そういった傾向を感じ取っている看護師は多いように思います。
感情を他者に伝えるという習慣が、男性の方が少ないのかもしれないですね。
例えば、ガールズトークという言葉があるくらい、比較的多くの女性はみんなで集まって話して、自分の感情を表現することでストレスや課題を解消したりとかしているけど…。
でもこれってバカにされがちなわけですよね。結局何か話してるだけで満足するんでしょうみたいな。
そういった風潮のせいで、感情の言語化を避けてしまいがちな人も多いのは少し残念なことだなと思いますね。
性別問わず重要なアクション「共感」
確かに、女性が「共感して欲しいだけの生き物」みたいに書かれているのをSNSとかでもよく目にするんですけど、共感ってめちゃくちゃ大事だぞって個人的には思うんですよね。
看護の領域でも「傾聴・受容・共感」は重要なスキルとして習います。相手の話に耳を傾け「傾聴」すること、それを「受容」して「共感」を示すこと。
そうした姿勢が、目の前の相手を癒していくことにつながると習うくらい重要なことなのに、「共感だけしてればいい」と言われてしまうとなんだか複雑な気持ちになりますね。
会話の中で癒されることってありますよね。
自分の気持ちを一人だけで抱え込まずに人に話すことで、「自分、今こんなことを思っているんだ」と再認識できますし。
漠然と不安に思っていることに言葉をつけていく作業って、自分の考えを整理することにつながることだなと思うので、決して軽んじていいものとは言えないですよね。
社会生活を営む全員が当事者の、ジェンダー問題
書籍でも、優実さんのように声を挙げた女性たちの事例がたくさん紹介されていますけど、最初の一声を発するのはすごく勇気の要ることだと思います。
今でこそ「アクティビスト・フェミニストの石川優実」という印象が根付いていますが、最初にフェミニズムに出会ったタイミングはいつだったんですか?
「#metoo」運動で多くのハリウッド女優や、日本の芸能人がパワハラやセクハラの被害を告発されていて…それにまつわる記事を読んだときに「私がグラビアモデル時代に受けたセクハラや性被害と一緒だ」と気づいたことがきっかけですね。
「#metoo」運動に絡めて私も性被害を告発したんですが、その頃はフェミニズムという名前は知らなかった。でもその告発に連帯してくれた人たちの多くがフェミニストだったんです。
なるほど、「#metoo」で声を挙げてくれた人を目にしたことがきっかけだったんですね。
ですね。シオリーヌがフェミニズムに出会ったきっかけは?
私は性教育が入り口だったと思います。
性についての基礎的な知識を身につけた上で、自分でライフプランをデザインできる若者が増えてほしいという思いで今も情報発信をしているんですが、自分自身も当初は「性教育=妊娠や身体の仕組みのこと」がメインだと思ってたんです。
ところが、改めて性教育を勉強し直そうと、ユネスコが策定している『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』という国際基準の性教育の手引きといえるようなものを読んだところ、まず出てくる言葉が「人間関係」なんですよね。
そのほかにも「コミュニケーションスキル」「ジェンダー」「一人ひとりが持つ権利」などの内容が書かれていて。
身体の機能の話だけではなく、社会的な側面もかなりの分量を占めているんですよ。
そうして性教育について幅広く学ぶうちに、自然とジェンダーに関する学びへとたどり着き、フェミニズムを知りましたね。
人生を本気で考えたら、ジェンダーとかフェミニズムの問題って避けて通れないですよね。
確かに、誰しもが関係のあることですもんね。
自分の中に存在する「無意識の偏見」に気づけるか
最初「#metoo」で声を挙げられた時は、バッシングなどはありましたか?
そのときはまだ猫をかぶっていたので、そんなにバッシングはなかったんですよ(笑)
「私も悪いんです」なんて言ってて。
でもその後、自分がされたことに対して「自分も悪かった」なんて言ってたらダメだなと思ったんです。同じような思いをした方が「私が悪かったんだ」と思い込んでしまうようになるなと。
発信する側の人間として「自分は悪くない」という姿勢でいないとダメだと思い、徐々に発信のスタンスを変えていったんですが、それにつれてバッシングは増えていきましたね。
そういった経験を通しても、社会が女性に求める態度はちょっと厳しいものがあるなと実感しますね。
そうですね、「奥ゆかしさ」みたいなものを求められるというか…。
そうそう。でも、被害者の方とか人間としての権利を訴える方に、規範は求めてはいけないと思うんですよ。
自分もたまにやっちゃうんです。「もっとこういう言い方すればいいのに」とか「もっと謙虚に言えばいいのに」とか思ってしまって。そのあとすぐに「あ、いけない」と気付くんですけど。
でも最初に話したように、本人がどんな言葉を使うのか、どんな態度で存在するのかは本人の自由でしかないので、自分はそこに干渉しないようには気をつけていますね。
すごくわかります。私も発信をしていて「言葉選びに配慮があるよね」と言ってもらえたりするんですが、私自身も危ういときは全然あると思うんです。偏見とか差別的な思考がふとよぎってしまうことってあるので。
でもすぐに「これは違う」と自覚したり、誰かに指摘されたときには誠実に耳を傾けられる人でありたいと思います。
一瞬苦しいですけどね。自分の足らないところを受け入れるのって。
でも姿勢として持っておくのは本当に大事です。
「学び落とし」という言葉があるんですが、ジェンダーの分野を学ぶにはとにかく「捨てる」姿勢が求められるなと思います。
今まで社会で生きてきた中で、自分が身につけた偏見や思い込み、バイアスをどれだけ削ぎ落とせるか。
染みついたものが多すぎますもんね。
本当に。嫌になっちゃうくらい(笑)
たまにあるんですよ、何かを訴えている女性に対して「嘘なんじゃかな?」とよぎってしまうことが。
それが自分でもすごく嫌で、「ダメダメ」ってハッとするんですけど。
まずは優実さんのように「無意識のバイアスに気づけるアンテナ」を一人ひとりが意識的に育てていくことが、大事なことですね。