連載第6回、今回が最終回となります。これまで様々なリーダーの葛藤について取り上げてきましたが、今回は、「リーダーに必要な資質」について取り上げてみます。
目次
多くのリーダーが抱える「後継者がいない」という悩み
ピーター・ドラッカーは、「組織にとっては、リーダーを育てることのほうが、効率よく低コストで製品を生産することよりも重要である。」という言葉を残しました。
工場や設備はお金があれば用意することができますが、優秀な人材だけはどれだけお金を積んでも簡単に用意することができません。人を見つけるのも、育てるのも、時間と労力がかかるものです。
私がクライアントと話をしていると、「後継者」の話がしばしば話題にあがります。
オーナー経営者は、自分の後任にどの人材がふさわしいかをいつも考えています。企業の駐在員も、昨今は現地化が進んでいますから、ローカル人材を自分の後任として仕事を任せることができるか、について検討している場合も多いです。
そうした状況の中、ほぼ例外なく共通するのが、「この人をリーダーにすれば間違いないと100%確信できるような人はほとんどいない」ということです。どの人材も、強みもあれば弱みもあり、気になるところが多々あるのが実際のところでしょう。
「顧客受けがよく業績貢献は大きいが、社内プロセスを軽視し評判がよくない人材」
「真面目にコツコツ取り組み安定感はあるが、リーダーとしては力強さに欠ける人材」
「上昇志向が強く成果もあげるが、謙虚さに欠け自分の非を認めない人材」
例えばこのような、一長一短の人物が皆さんの組織には多いのではないでしょうか。
そんな状況の中で、「理想的な人材がいない」と嘆いていても始まりません。あなた自身のことを振り返ってみても、恐らく「自分は理想的な人材だった」と断言できる人はほとんどいないでしょう。
すべてのリーダーは発展途上なのです。そんな中でも、どこかのタイミングでリーダーを任され、役割を全うする中で徐々にリーダーとして成長していくのです。
上司の仕事で大切なのは、発展途上だけれど、リーダーの資質を持っている人を見抜き、抜擢することなのです。そのためには、どういう資質がリーダーに必要なのかをしっかりと考えておく必要があります。
「徳」のあるものに地位を与えよ
「功あるものには禄を与えよ。徳あるものには地位を与えよ」という言葉があります。西郷隆盛が発した言葉として知られていますが、元をたどると中国の古典が源流のようです。(諸説あります)
成果を挙げた人には、禄、つまり報酬で報いるべきです。企業で言えば、高い業績を挙げた人には高いボーナスを払いなさいということです。
ここで注意すべきなのは、数字を挙げるからと言ってそれだけで出世をさせてはいけないということです。出世をさせるということは、人の上に立つことを意味します。人の上に立つ人にはそのための資質が求められ、それは数字を挙げる資質とは必ずしも同じではありません。
企業でも、業績貢献が高く会社にとっては欠かせない人物をマネジメントポジションにつけた途端、組織がうまく回らなくなったという話はしばしば聞きます。プレイヤーとして優秀だった人物が部下を持つと、プレッシャーをかけて部下を委縮させてしまったり、リーダー自身の手柄を主張してしまったりと、組織全体の活力をそいでしまうことがあるのです。
「徳あるものには地位を与えよ」とは、高いポジションは、成果を挙げる人ではなく「正しい心を持った人に与えなさい」ということです。
それでは、徳とはどのようなことなのでしょうか。
リーダーに必要な資質 ― 人を深く理解し、能力を見抜くこと
四書五経の五経の一つとして知られる「書経」の中には君主が持つべき資質について様々な記述があります。中でも、皋陶謨(こうようぼ)という節には理想的な臣下像についての考察がなされており、以下のような一説があります。
「人を知るは即ち哲。能く人を官にす。民を安んずるは則ち恵。黎民、之に懐く。」
(人の能力を見抜くことのできるのは、まことの知恵です。その知恵があって、その人は誤りなく人を任用することができるのです。人々の心を安定できるのは、恵み深い仁愛です。その仁愛があってこそ、人々はその人を慕うことができるのです。)
つまり、「人の能力を理解しようとする」こと。そして、「人に愛情を注げること」。この二つこそがリーダーの資質であると述べています。
とりわけ、私はこの「人の能力を理解する」ということが大切であり、また希少な能力であると思います。
人のことを深く理解するためには、その人をよく観察し、また話をじっくり聞く必要があります。ところが人間は年を取るとなかなか人の話が聞けなくなります。自分より年が若い人を未熟者と決めつけてしまったりもします。そうではなく、どんな相手であっても、意見に耳を傾け、その人の良いところを見つけようとしているか。そこにリーダーの資質が現れます。
司馬遷の「史記」の中に「刺客列伝」という巻があり、この中には「士は己を知る者のために死す」という有名な一節があります。
この巻の中では、武将智伯の臣下、予譲という男が、自らを取り立ててくれた智伯の敵を討つ物語が描かれています。失敗してもなお仇討ちを諦めない予譲が、そこまでの情熱を持ち続けられるのは、ただ一つ、「自分自身を取り立ててくれた智伯への恩義に報いたい」という思いでした。予譲は恩義に報いられるなら死んでも良いと言い、実際に志半ばで壮絶な死を遂げます。
自らの能力を認め、取り立ててくれた上司には一生をかけて恩返ししたいと思うものです。そうした、部下のポテンシャルを見抜き、活躍の場を与えることは最大のモチベーション向上になります。それができる人材こそが、組織の能力を高められるリーダーなのです。
リーダーの重責を理解し、謙虚である
また、我々がしばしば葛藤するのが、「リーダーになりたがる人」をリーダーにするべきかという点です。
上昇志向が強いのは悪いことでは無いですが、それが強すぎると自らの利益を優先してしまったり、また周りが見えなくなってしまう危険もあります。
再び先ほどの「書経」を紐解きますと、こんなくだりがあります。
つまり、リーダーはリーダーであることの難しさを、誰よりも理解していないといけない。そのうえで、自らを戒め、自己の向上に励むという覚悟が必要なのです。
リーダーになりたいという人がいたら、その動機を知ることが重要です。ただ単に出世をしたいから、ではリーダーにふさわしいとはいえないでしょう。
リーダーの重責を理解している人ほど、軽々しくリーダーになりたいとは言わないかもしれません。しかし、そんな謙虚さを備えた人ほどリーダーに向いているのではないかと私は思います。
日本人リーダーに期待したいこと
最後に、今回紹介したような、「相手を理解すること」「謙虚であること」に基づくリーダーシップというのは日本人の得意技ではないかと私は思っています。
日本人は、アジアの上昇志向の強い人々の中で比べると、どうしても目立ちません。また、あまり自己主張しないために、ビジネスの場面で利益を他者に持って行かれたりするという弱点もあります。
しかし一方で、周囲とバランスを持って付きあい、利他の精神で相手に貢献する姿勢は世界中から高い評価と尊敬を受けています。私は、このような日本人の特徴に、もっと肯定的になっても良いと考えています。
先日、世界的に有名な経営学者ミンツバーグ博士が、世界が利己主義に傾倒していく中で「日本は世界の中でもとてもバランスが取れた国」と期待を寄せたことが話題になりました。日本人である我々はややもすると日本という国に自信を失いつつありますが、世界はまだまだ日本人に期待を寄せてくれています。
本連載では、日本という国は東洋文化のエッセンスが凝縮されている国である、という事を紹介してきました。そうした文化的バックボーンを土台として、日本人はバランス感のあるリーダーシップを発揮し世界に貢献していく使命があるのではないか。
そんな問題提起をして、本連載を終えてみたいと思います。連載「実践・東洋的リーダーシップ」、お付き合いいただき有難うございました。