思い通りに動かない社員にどのように対峙すべきか

連載第3回です。今回は期待通りに動いてくれない社員にどのように対応すべきか、という点についてケーススタディを用いて考えていきます。

私は普段コンサルタントとして経営者と向き合っていますが、多くの経営者の悩みは「人の問題」、その中でも特に、経営幹部との間の摩擦についてであることがとても多いです。

こうした問題は日本人同士の組織でもありますし、また海外拠点の場合は日本人と外国人の間での問題となりますので、問題の取り扱いはより難しくなるでしょう。

「もっとふさわしい人材がいるのでは?」という思い

あるタイの製造業のケースをご紹介します。

経営者の田中さん(仮名)はお父さんから受け継いだ会社を大きくし、今はタイやインドに拠点展開し2代目社長として辣腕をふるっています。年齢は45歳。社長としてはまだ若い年齢です。もっと会社を大きくしていくというビジョンを掲げ、自ら積極的に顧客先や現場にも出向いて精力的に仕事をしています。

田中さんには右腕であるタイ人のジェネラルマネジャー、ベンさんがいます。50歳を超えているベテランで、長年田中さんに仕え、会社を切り盛りしてきました。社内のことは彼に聞けば何でもわかりますし、部下の人心掌握も上手で、部下からは「優しいベンさん」と慕われています。田中さんは、そんなベンさんに頼って会社を経営してきたことは事実です。

しかしながら、一方で田中さんはベンさんの働きぶりに不満を持っています。

田中さんから見れば、ベンさんはどこか危機感が足りないように見えます。多くの製造業はこれからの10年で生き残りをかけた変革を求められています。オーナーでもある田中さんは変革への強い危機感があります。しかしベンさんは今までの延長線で仕事をするばかりで、どこかのんびりしているように見えます。

また、田中さんからすると「ベンさんは部下に対して細部の指摘が多く、経営幹部としてもっと大きな目線で仕事に当たってほしい」と不満に思っています。

景気が良い頃はベンさんのようなスタイルでも良かったのかもしれません。でも、今の経営環境は違います。

「もっと自分にも他人にも厳しくできるリーダーでないと、変革は出来ないのではないか。」

「ベンさんはその変革についてこれる人材なのだろうか。」

「どこかにもっとふさわしい人材がいるのではないか」。

「もしかしたらベンさんをクビにして、新たな幹部を雇う必要があるのではないか。」

そんな想いを内に秘めながら、田中さんはもう数年にわたってベンさんとの関係に不満を覚えてきました。

変わったのは「相手」か「自分」か

ここまで、ある企業の「田中さん」と「ベンさん」という例をご紹介してきました。こうした、組織のトップと周囲とのズレは、どうして起こってしまうのでしょうか。

人間は、日々触れている情報から影響を受けて、それにより自らの認識が変化していきます。

トップである田中さんは、日々、他社の経営者とも情報交換をしますし、またオーナーとして経済の情報にも敏感です。銀行や株主から様々なプレッシャーを受けることもあるかもしれません。そうしたことから、「会社を変革しなければならない」という思いを強め、そういう認識のフレームを持って自分の会社や他人を見ています。

しかし、ベンさん始め既存社員はそこまでのリアルな情報に触れていません。今まで通りの仕事を、今まで通りのやり方で行うのが彼らにとっては当たり前です。そうした当たり前のことをしているだけなのに、危機感を募らせている田中さんからは、働きぶりが悪いように見えてしまうのは、不幸な「すれ違い」が起きていると言えるのではないでしょうか。

私はこうした状況に際し、しばしば社長に対して「その方の行動は、以前と最近ではどのように違いますか?以前していて、最近しなくなったことはありますか?」と尋ねます。また、「社長の危機感の理由となっているリアルな情報を、どれくらい伝えていますか?」とも聞きます。

そうすると、「相手の行動自体は前から変わっていない」「同じ危機感を共有できるだけの情報のシェアをしていない」ということに気づかれることも多いです。実はイライラを募らせて、モノの見方が変化していたのは、むしろトップの方だったということは少なくありません。

そうした「内なる問題」に目を向けずにベンさんをクビにしたとしても、本当の問題はそこに残り続けます。そうして迎えた新しい幹部に対しても、最初はよく見えてもきっとまた不満を抱いてしまうことでしょう。幹部の入れ替え自体は時には必要ですが、問題があったのは本当にその幹部だけだったのかにも目を向けなくてはいけません。

本連載の第1回で、禅僧のエピソードを用いて「問題の本質は、自分の中にある」という考え方をご紹介しました。相手の言動に苛立ってしまう時、その苛立ちの原因はいったいどこから来ているのか、を一度自分に問うてみることも大事かもしれません。

「自分の満たされなさ」を相手にぶつけていないか?

さらに言うと、どれだけ情報を伝えたとしても、「自分と同じ危機感を持ってほしい」という田中さんの願望自体が叶うことはなかなかないのではないでしょうか。

オーナーで2代目社長、経営トップの田中さんと、雇われ役員であるベンさんはそもそも背負っているものが全然違います。同じレベルでの意識を持って仕事をして欲しいと思うのは無理な話でしょう。

例えば、子供を育てている人は、子を持って初めて「親の気持ち」というのが本当に理解できたのではないでしょうか。

子育てはとにかく思い通りにならないことばかりです。それでも、全ての理不尽を飲み込んで、親は子供を何とか育てていかないといけません。そういう経験を通じて初めて、自分の親はこんなに苦労して自分を育ててくれたんだ、という深い感謝の気持ちが湧いてくるものです。

子供にイライラをぶつけてしまう親も時々います。親も人間ですから、そういうことは時々あっても良いでしょう。それでも、そうした行為は望ましい結果に対してはむしろ逆効果になります。自分自身のイライラをいったん飲み込んで、落ち着いた心で相手に接しないといけません。自分の状態には、まず自分でケリをつけないといけないのです。

経営者も同じです。「経営者と同じ危機感を持て!」という前に、同じ目線になってもらえるだけの情報を極力伝えていくことが必要でしょう。しかしその際に、「俺はこんなにつらいんだ」という被害者意識や、「お前たちはのんびりしすぎている」という批判が言動から滲み出てはいけません。そうなった瞬間に、社員は社長のイライラを敏感にとらえて、逃げていってしまいます。

まずは、リーダーの苦悩は自分が引き受けると腹を括る。そのうえで、幹部や社員にはそれぞれの仕事を全うしてほしい、というスタンスで相手に接することで初めて相手はリーダーのメッセージを受け止めてくれるのではないでしょうか。

人は「肯定されること」で変化する

さて田中さんですが、その後ベンさんとじっくり会話する時間を取りました。

田中さんは自分の危機感の背景となる情報をあまり伝えてこなかったことを反省し、「改めて自分が今後会社をどうしていきたいか」を整理してベンさんに伝えました。

また、その上でベンさんが最近どのような想いで仕事をしているのかをじっくり聞くことにしました。ベンさんが細かい仕事を重視するのは実はお父さんから受け継いだモットーで、彼なりに会社を守るためにこだわってやっていることなのだ、という話も聞くことができました。

このことは、長年一緒に仕事をしてきた田中さんにとっても初めて知ることでした。そうしたベンさんの行動の裏にある思いを知れたことで、田中さんは「実はベンさんの会社に貢献するスタンスは今のままでも良いのではないか」と感じるようになりました。

一方、そんな田中さんの変化を感じ取って、ベンさんもこれまで以上に、会議の中で高い視点での発言をするようになりました。田中さんが口を酸っぱく言わなくても、ベンさんの方から田中さんの意に沿った行動をしようと少しずつ変化が起きているようです。

不思議なことに、「今の自分」を肯定されることで、人は「変わろう」という気持ちになります。逆に、「変われ」と言われるといつまで経っても変わらないのが人間なのです。

東洋に伝わる相互作用の精神

このように、変化というのは、しばしば双方に同時に起こります。一方がもう一方に合わせるのではなく、お互いの気持ちを理解したときに、双方が同じ方向に向かって変わり始めるということが起こるのです。

こうした「相互作用」という考え方は東洋思想の根本に流れる精神です。それを象徴する物語として、今回の文章の最後に、道教に伝わる「琴鳴らし」というお話を紹介しておきます。「相手を動かそうとするのではなく、自分のあり方を変えることの大切さ」が学べる逸話です。

昔、中国の洛陽に竜門の谷という場所がありました。そこに森の王と言われた樹がありました。その樹木の枝は空高く伸び、また根は地中深く潜っている、とても巨大な樹木でした。

ある時、妖術師がその樹から「琴」を作りました。琴は皇帝の持ち物となりましたが、その琴は不思議な力を持っていました。どんな名人が現れてその琴を弾こうとしても、聴くに堪えない、不協和音しか出ないのです。そうして、長きにわたり、その琴は誰にも鳴らすことは出来ませんでした。

ところがついに、伯牙(はくが)という琴の名手が現れました。彼は暴れ馬をなだめるように優しく琴をなで、静かに弾き始めました。彼が自然や四季についての音楽を奏で始めると、琴は自分が樹木であった頃の記憶をよみがえらせ、心地よい音楽を奏でました。伯牙は次々と恋の歌、戦いの歌、などを奏で、それはとても美しい音色でした。

皇帝は感激し、伯牙に琴を鳴らす秘訣を尋ねました。すると伯牙はこう答えました。

「陛下、他の人々は己のことばかり歌うのでうまく行かなかったのでしょう。私は琴に主題を委ねたのです。すると、琴が伯牙なのか、伯牙が琴なのか自分でもわからなくなったのです」と。

このお話にあるような「主客一体」(相手と自分を一体と捉える)という考え方は、やや哲学的に聞こえるかもしれませんが、現在においても、我々が人間関係を考えるときにも参考になる考え方として、未だに示唆に富んでいると私は感じます。

上司である自分は、部下という琴を弾こうとしているのか。それとも、部下が弾きたいと願っている主題を引き出そうとしているのか。そんな風にとらえてみると、私たちリーダーの部下への関わり方のヒントになるかもしれません。

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