『人の可能性・価値を最大化できる社会を創る』をミッションに、「ヒト」の側面から企業支援をおこなっている株式会社RECOMOのCOO押田さん。
押田さんの個人理念は「心の豊かさを追求できる社会を創ること」で、その実現に向けてRECOMOだけでなく、様々な方面で幅広くチャレンジをしています。
そのスタンスは多くの方からの共感をよび、「一緒に働きたい」「一緒に何かやりましょう」という声がたえず、「人を巻き込む術」に長けている印象を持ちました。
しかし、そんな押田さんですが、過去には友人からの裏切りにあったり、ハードワークで体調を壊したりなど、いくつか人生の転機があり、その経験から学び、乗り越えた結果として現在のスタンスに至っているとのこと。
本記事では、押田さんの過去の人生を紐解きながら、仲間づくりの考え方や、仕事へのスタンス、そして押田さんの考える「心の豊かさ」についてご紹介します。
【人物紹介】押田 絵梨香 | 株式会社RECOMO 取締役COO
大学在学中より大手からベンチャー・スタートアップ企業まで、通信・金融・人材業界を中心に、営業・アライアンス・事業開発などをおこなう。2019年4月に「人の可能性・価値の最大化」を掲げる株式会社RECOMOを共同創業。COOとして組織・事業づくり、ブランディング、アライアンスを担い、「既存の枠組みを超えた新しい価値を生み出す」ことをミッションとしている。個人理念は “心の豊かさを追求できる社会” を創ること。
目次
これまでの私のこと
まずは、私がどのような人間なのかを簡単にご紹介させてください。
私は現在、株式会社RECOMOのCOOとして、理念の「人の可能性・価値を最大に広げる」ためのチャレンジをしています。
ビジョンベースでの組織づくり・事業づくり・アライアンスやブランディング…もっとありますが、幅広くやっています。
遡ること、私は産まれてすぐ「今夜が峠ですね」と医者に言われるくらいの重病にかかり、生死の淵をさまよいつつも、しぶとく奇跡的に復活したところから人生がスタートしました。
本当に危機的な状況だったらしいのですが、これを乗り越えたんだからもう何があっても死なないと思っています(笑)。
私は「心の豊かさを追求する社会」という個人理念を掲げていて、現在の活動は全てここに紐付けるようにしています。
一人ひとりが持つそれぞれの豊かさをどんどんアップデートし続け、幸せの循環を生み出せる社会を創りたいんです。「仕事が豊かさや幸せに繋がっているか」、これが大事な指標ですね。
豊かさの定義は、本当に人それぞれあると思います。
仕事で大きな結果を出すこと、大きな富を得ることが幸せな人もいれば、そうじゃない人もいます。
私の場合は、「感性で生きること」です。好きな人たちと五感を満たしながら人間味のある暮らしをすること。一緒に身体を動かしたり、同じ釜のごはんを美味しい美味しいと言いながら食べること。
もっと言えば、毎朝太陽がのぼって平和な朝が迎えられること、「光合成」をしながらお散歩できること、五感で四季を感じられること、月や満天の星空からパワーを受け取れること…。
宇宙まるっと「生きている」ことが感じられる瞬間が嬉しく、自然と宇宙に感謝している自分がいます。(ちょっと、怪しく聞こえたらすみません笑)。
感性で生きるとは、「自分にとっての美しさとはなにか?」と自分と向き合う生き方だと思っています。
日頃から「感性を磨けるようなものをたくさん味わいたいな」と思うのは、全国各地に仕事や旅行で出かけるときに再認識させられます。
日常とは異なる視点から生まれる気づきや好奇心、自然のなかでまるで子どものようにはしゃぐ様子。人間らしい部分が解放されることで、生き方がまったく変わってくるからです。心に被っている鎧が一枚一枚剥がれ、裸になっていく感覚です。
自分らしい感性を磨いている人が増えていけば、それは結果、社会に価値観や生き方などの多様性を生んでいくだろうと考えています。
一見、起業してCOOをしているような人のプロフィールに見えないかもしれませんよね(笑)。
もちろん、最初から、そのようなことを大切にして働けていたわけではなくて、色々な失敗を通して学んできました。
今日は、私が「心の豊かさ」を大切にしながら生きるに至った背景を、ほんの一部ですが、お話ししたいと思います。何か参考になれば嬉しいです。
きっかけは「最高の親孝行のために」20歳で独立を目指す
もともと起業を考えるようになったのは20歳、大学生のときで、きっかけは家族のことでした。
父の会社の業績が右肩下がりになったタイミングであり、家計に余裕がなくなっていきました。それを一つのきっかけにして、両親は離婚し母はシングルマザーになりました。
母は、もともと身体が弱く、よく体調を崩しては「長生きできないから」と言っていたのを覚えています。
それにも関わらず、私や妹を養うために忙しく働き、食べたいものを食べたり、旅行に行ったり、身体を休ませたり…日常の当たり前のことですら、満足にできる時間はなかったと思います。
何があってもいつも守ってくれたんです。我慢ばかりさせてしまいました。
「私に何ができるだろうか….」と、考えを深く巡らせる日々。
20歳を迎えたタイミングで改めて、これからのこと、そして家族に対してできることを考えた結果、「最高の親孝行」をしようと決意しました。
最高の親孝行とは、母が私のためにずっと我慢してきたことを叶えてあげられるようになること。
そして、母がゆっくりと暮らせるように、家族の生活費や何かあったときの費用を私が工面できるようになることです。それが自分にとって恩返しになると考えたんです。
しかし時間的にもお金的にも、「会社員」で全てを叶えるには時間がかかりすぎると思い、起業を志すようになりました。
就活断念。“型にハマった生き方”は無理だった
「起業を志す」といっても企業での社会人経験は積んでおきたいと思い、就職活動は一応しました。が、就活は私には合いませんでした。
大学といっても私が通っていたのは夜間大学で、周りには公務員や経営者など社会人がほとんどでした。
そのせいもあってか、「就活」という空気をほとんど感じることなく、就活シーズンに突入したのを覚えています。
当時の就活イメージは、「型にハマりにいくことが正解」というもの。「個性を消してまで勝負して勝ち抜かねばならぬのか」と、違和感を抱いていました。
仕方がないことかもしれませんが、大学の学部名で書類が通らないと言われていたので、「個」で戦うしか希望がないと思っていました。
なので、どうしても同じ真っ黒なリクルートスーツを着て、人の見分けがつきにくいほどの格好をしてまで、将来を決めにいくことができなかったのです。
堅い表情をした同世代と、マニュアルを読んだような会社説明会。就活からの就職という未来にワクワクすることができず、結局、就活を止めました。
自分を押し殺し、らしさがなくなるのは望んでおらず、正社員に縛られず自分で生きていこうと決意しました。
就活をやめてからも、大学に通いながら、フルタイムで働く生活を送っていました
掛け持ちしながら週7日のハードワーク。サービス業や通信会社の営業職に就き、学生ながらも同じ環境にいた社会人以上に成果にこだわりました。
そのおかげか、大学生ながら、社会人並みのお給料をいただいていたので、自分が選んだ道で「生きていける」確信もありました。
もちろん、困難もたくさんありましたし、「成果を出し続けなければ仕事がなくなる」という状態だったので、ずっと全力で必死でした。
人生の先輩方々の話から得た教訓を参考に、自ら意思決定して失敗もしつつ、それを栄養素として経験を重ねていく。
そして、失敗は価値であることや、自分の人生を自分の意思で選ぶ大切さを身をもって体験しました。
自身の経験は紛れもない事実で、そこから湧き上がる思いこそが原動力や自信に繋がっていきました。
そして、外の世界を知れば知るほど、上には上がいることを気づかされて、がんばろうと思えました。(これは今でも同じです)
就職していたら、早期の段階で経験できなかった貴重なことだったと思います。
人生の価値観を変えた、2つの大きな転機
ここからは、私が「心の豊かさ」を大切にするに至った、人生の大きなターニングポイントを2つ紹介します。
“いのち”と “時間”の大切さを痛感
1つ目は、「見たことのない世界をもっと見たい、知りたい….」と、好奇心旺盛な学生時代のこと。往復三時間かけて埼玉から東京に出て、働き始めました。
昼夜問わず働き、平日の18:00~22:00は学校に通う生活。仕事と学校の隙間での不規則な仮眠、生活リズムなんてまるでありませんでした。
深夜の一人営業も経験し、サービス残業祭が開催され給与明細には300時間を超えた数字が並ぶ。日々の記憶がまるでなく、正気を保つためのエナジードリンク漬けの日々。
そんな生活をしていたある日、朦朧とする意識の中の明け方、駅のホームに落ちかけたことがありました。
そこで「私は何をしているんだろう」と、ふと我に返ったんですよね。
何のために暮らしを犠牲に、時間を切り売りしてるのだろう。と、限界を感じました。やりたいことや最高の親孝行で人生を埋め尽くすはずだったのに、どこでこうなってしまったのか…..。
さらに、追い討ちをかけるように、当時慕っていた方の訃報が届きます。その方はまだ30代。身近で若くして亡くなった方の訃報は初めてで、大きなショックを受けました。
そのとき「いのち」について初めて向き合い、生と死の意味、時間の価値、人との関わり方を真剣に考えました…。「人生」の捉え方が変わっていったんです。
時間は思っている以上に早く過ぎ、人生はあっという間。
今ある当たり前は当たり前ではないし、明日生きているという絶対もありません。
ただ仕事に邁進するだけではなくて、自分が大事だと思うことを大切にできる後悔のない毎日を送り、最期を迎える直前まで笑顔でありたい。そう思うようになりました。
一緒に起業しようとした友人が失踪。一転して無職に
2つ目のお話です。2015年頃だったと思いますが、友人と共同創業という形で会社設立の話を進めていました。
当時働いていた会社を辞め、「年明けからフルコミットで始まるぞ!」と気合いを入れていた矢先、友人と連絡が取れなくなります。
LINEは既読がつかず、電話もメールも音沙汰がない。会社を起こすことができなかったんです。その友人とは、いまだに連絡が取れていません。(笑)
無職が決まり、「え、これからどうしていけばいいの?」と、絶望的な年末年始でした。
仲間を失い、仕事もなくなり、ゼロスタートで歩んでいくことになります。
第二の人生のような感覚でした。このときの出来事は、大きな学びしかなかったのですが、ここでも人との関係について考え直す機会を得ました。
念願の起業だったからか盲目になってしまい、「仕事そのもの」でのみ繋がり、仲間がどんな人生を歩んできて、どんなことを成し遂げたいのか、ほとんど知りませんでした。理念やビジョンでは繋がれていなかったのです。
にも関わらず、視野が狭く、薄っぺらな関係しかつくれていなかったと痛感しました。
「お互いが両想いになれているか?」人との関わり方への変化
この経験から、「未来のあり方・なぜ一緒にやるか」「誰とやるのか」の“ビジョン”や“目的”、そして“価値観”を徹底的に重視するようになり、繋がりのスタートをガラリと変えました。
もし仮に失敗したとしてもご縁が切れることなく、その先の未来をみながら共に歩み続けられるよう、長期的な関係を築きたいと強く思いました。
「誰とやるか」は死守したいポイントです。
そのためには、「温度感を感じられる対話」を重ね、ありのままを開示し合うこと。
主語が、相手を含んだ「We(私たち)」でものごとを「自分ゴト化」でき、最高の状態を創り続けたいと思えること。 これさえ噛み合えば、あとはなんとかなると思っています。
もちろん、実際一緒にやってみると「全く違う」ことも、あるあるです。
むしろ、やりながら見えてくるものがほとんどなので、まずは小さく始めてみることがよいと思っています。
仕事であれば例えば、まず三ヶ月お互い真剣にやってみる、という「お試し期間」をとるようにしています。
ものごとの考え方や感性、行動のスタンス、何かあった際の対応などが赤裸々に見えてくるので、お互いを深く知ることができます。
結果、大切にしている部分がぴったりと合い「両想い」状態であれば、きっとよりよく活動が続けられるはずです。
信念や価値観で繋がれていれば、変化にも動じない
人との関わり方を意識した結果、生き方、働き方…自身を取り巻く人やこともガラリと変わりました。
今、私の周りにいる人たちは、信念や実現したいビジョン、価値観で心から共感した繫がりで構成され広がっています。
会社やプロジェクトなど「仕事だけ」に縛られることなく、ゆるく、でもしっかりと繋がり、ご縁をさらに育んでいる感覚です。
お互いに「個」を尊重しあえて、人間味のある関係。その根本にあるのは「心と心の繋がりの深さ」。
単に別々のものが繋がっているだけではなく、その先の「重なり合い」があることで、より、豊かな人間関係をつくっていけると信じています。
VUCAと言われるように、世の中は常に変わり続けています。
それでも、会社や事業、プロジェクト…実現するためのカタチは変わりながらも、ともに歩んでいく仲間とはできるだけ長くご一緒できたら嬉しいです。
RECOMOを創業。目指したい未来とは?
RECOMOのCEO橋本さんとの共同創業へ
現在は、RECOMOのCOOという立場になりますが、そもそも代表である橋本さんもそうやって繋がったうちの一人です。
出会いのきっかけは、2018年の夏。もともとFacebookで繋がっていたのですが、橋本さんが前職で人事責任者として在籍していたときにスカウトをいただいたんです。
当時は、橋本さんが携わっていた分野とは異なる仕事をしていたこともありお断りをしたのですが、その後に何度か対話を重ねるうちに、お互いが実現したい構想が生まれ、そのためにRECOMOを創業しました。
現在の組織は、ビジョンに共感した人・会社が集まり、お互いの強みを掛け合わせながら切磋琢磨して頑張っています。
組織づくりで大切にしている「自己満足を超えた他己満足」を目指して
RECOMOのメンバーは「誰と一緒にやるか」を最優先に考えています。
そのために、短期間、実際に働いてみたり非日常を共にすることで、より絆を深められるような取り組みもしています。
カフェでのミーティングやランチ会だと「自分をつくれて」しまうし、正直相手のことは全然わからないというのが本音です。
だから、「自然体」で「ありのまま、等身大の自分」でいられる場をご一緒することで、人間味が手に取るように感じられるところが、自社の好きなところの一つです。
そのような取り組みをしていると、社外の方から「自己満足なのでは?」と言われることもありますが、これを「自己満足」に留めておくつもりはありません。
自分自身が等身大でいること、そして自社内でのコミュニケーションを大切にすることは、必ず、関わる人やクライアントのためにもなる「他己満足」な状態に繋がると信じているんです。
まずは自分たちから、人と人との繋がりを大切に考えたいと、心底思っています。
これまで様々な企業で働いたり、支援をしてきた中で、コミュニケーションが組織活性、採用育成等の組織づくり、事業開発等すべての土台となっていることを実感しています。
リモートワークが当たり前になっていく中では、よりこの土台を強固にすることが求められると思います。
まずは、自分を満たしていくことからはじめる
ここまで読んでくださってありがとうございます。
私がなぜ「心の豊かさ」を大切にするようになったかを、知っていただけたら幸いです。
自分の命や時間の有限性を知り、本当に大事にしたいことに目を向けること。そして、その価値観をもとに、関わる人、仕事、生活をデザインしていくこと。
そのスタンスでいることが、自分だけではなく周りの人も幸せにすることにつながるというのが私の信念です。
最近はSNSを中心に、なにかと自分を「高める」ことが良しとされがちな空気を感じています。
だけど、いまの自分が満たされていないまま、無理をして高めるのは本当にしんどいことです。
他と比べるのではなく、ありのままに感じ思うもの、欲求、魂が震えることを優先したらいい。まず自分を満たしてこそ相手を満たすことができ、よりお互いがハッピーになれるのだと信じています。
もちろん、人生には答えがなく、豊かさのカタチはこれからも変わり続けると思います。
だからこそ、信念を持ちながら自分の意志で選択をし、その手触り感のある経験を積み重ねていきたいなと思います。
様々な価値観をもった人が、尊重しあい共存する世界を目指して
今回のインタビューの機会を通して、改めて考えてみましたが、一番大切にしたいのは「人」、というのは変わりませんでした。
私は、この「人との繋がり」からつくる場づくりを通して、実現したいことがあります。それは、さまざまな価値観を持った人たちが集まり、お互いに尊重しあい、らしく共存するような世界観です。
以前までは何か新しいことをはじめるとき、会社やコミュニティという既存の形をベースに考えていました。
でも今は、「誰が集まるか」「どんな集合体をつくっていきたいか」。もっと言えば、共同体の定義・パーパスが言語化できていて、入り口がピタッとはまっているうえで、カタチを新しく模索しているところです。
そこに集まる仲間のあいだで、ある日突然、おもしろいプロジェクトが生まれているかもしれない。シェアの文化が日常になっているかもしれない。子育てをみんなでしたりと、”拡張家族”が広がって家族の概念が変わってるかもしれない。
いままでの当たり前から脱却して、組織としての在り方を再定義できればと考えています。
今年は「新しい挑戦」と「実験」をテーマに掲げました。
ビジョンや想いをどんどんカタチにしながら世に出していき、その実現に向かいたい。
そして、人生という冒険を、もっとおもしろくしていきたいですね。