
専門性を高めるための投資というと、資格取得やセミナー受講、外部コンサルタントの活用を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
私たち全国障害年金パートナーズは、うつ病による障害年金申請に特化した社会保険労務士法人です。この6年間、私たちが力を入れてきた人材投資は、法律知識でも実務スキルでもなく、「声」でした。2023年には、ボイストレーナーを正社員として迎えています。
士業の事務所がボイストレーナーを社員に迎える。一見遠回りに思えるこの投資判断の背景には、専門知識をどれだけ正確に伝えても、相談者に安心して受け取ってもらえるとは限らないという、現場で何年も向き合ってきた課題がありました。
今回は、外部研修から社員採用へと発展させ、育成を日常業務に組み込んできた私たちの取り組みを、人事・経営の視点から紹介します。

執筆者宮里 竹識氏社会保険労務士法人 全国障害年金パートナーズ 代表
2004年に社労士試験合格後、複数の社労士事務所や企業人事で実務経験を積む。2014年に社会保険労務士事務所全国障害年金パートナーズを設立。2018年に法人化(社会保険労務士法人全国障害年金パートナーズ)。事務所設立以来、ずっとうつ病の障害年金を専門にしており、累計3,000件超の受給代行支援実績を持つ。直近1年間では491名を支援し486名の受給が決定、獲得年金総額は62億円超。
目次
1.高度な専門職にも「伝わらない」という課題がある

2020年頃から、私を含む社労士4名がボイストレーニングを続けています。2023年7月には、それまで外部教室で指導を受けていた講師を社員として迎えました。
きっかけは、相談者とのやりとりの中にあった課題です。制度を正確に説明していても、相談者が安心して聞けるとは限りません。知りたいことを質問でき、自分の状況を無理なく話せる。その状態をつくることも、専門家の仕事の一部だと考えたのです。
専門知識を磨くことに加え、その知識をどのように届けるかまで、組織として責任を持つ。それが、この6年間、私たちが大切にしてきた考え方です。
2.「正しい説明」と「安心して聞ける説明」は同じではなかった
障害年金の電話相談では、病状、日常生活、仕事、経済的な不安などを伺います。いずれも、初めて話す相手には伝えにくい内容です。
そのような場面で、声が強すぎる、説明が速い、いつまで話が続くのか分からない。こうした話し方が、相談者の負担になる場合があります。当法人では、説明の正確さだけでなく、その説明を受け取る方の負担にも目を向ける必要があると考えてきました。
もちろん、うつ病の方が一律に同じ話し方を求めているわけではありません。体調やそのときの状況、話すペースは一人ひとり異なります。だからこそ、決まった調子で説明を続けるのではなく、相手の反応を受け止め、声量や速度、間の取り方を調整する必要があります。
これを担当者の性格や経験だけに任せると、指導も「もっと優しく」「もう少し丁寧に」という曖昧な言葉になりがちです。何を変えればよいのか、本人にも分かりません。
話し方を、学び、練習し、改善できる技術として扱う。その出発点が、2020年頃に始めた外部教室でのボイストレーニングでした。
3.外部研修から、日々の相談を一緒に振り返る体制へ

外部教室は、声の出し方や呼吸、話し方を専門家から学ぶ入口になりました。そこから私たちが求めたのは、学んだことを、実際の相談の場面により深く結びつけることです。
練習の場で意識できても、説明すべきことが多い相談や長時間の会話では、同じように実践できるとは限りません。「今の説明は速くなっていなかったか」「語尾まで聞き取りやすかったか」と、仕事の場面に即して振り返る機会が必要でした。
現在は、社内にいるトレーナーが実際の電話応対を確認し、相談後、速やかに改善点を伝えられます。研修と相談実務の距離を縮め、日々の仕事そのものを学びにつなげられる体制へと発展しました。
この体制の価値を経営の観点から整理すると、三つあります。
第一に、指導者が、私たちの顧客や業務を継続的に理解できること
第二に、具体的な場面を踏まえ、短い間隔でフィードバックできること
第三に、そこで得られた知見を社内に蓄積し、他の社員の育成にもつなげられること
です。
外部研修、業務委託、社員採用のどれを選ぶかは、求める関わり方によって変わります。
研修の回数だけでなく、顧客理解の深さ、改善の頻度、知見を社内に残せるかまで含めて考えることが大切です。
私たちの場合は、日々の相談実務と育成を近づけるために、ボイストレーナーを社員として迎える形へ進みました。
4.専門性を生かすには、職務の設計も必要だった
2023年7月に入社した佐々木仁志は、外部教室で私たちを指導していた、話し声専門のボイストレーナーです。現在は「ボイス&メディア責任者」として、社員のボイストレーニングとIT業務を担っています。
ここで、人事・経営の観点からお伝えしたいのは、専門人材を採用するときには、その人の専門性を日々の仕事にどう位置づけるかまで考える必要があるということです。
私たちの職務設計では、定例のトレーニングに加え、実際の電話応対へのフィードバック、さらにIT業務を組み合わせています。「週に一度、研修をする人」という役割にとどめず、組織の仕事に継続的に関わる形です。
ただし、複数の仕事を任せれば、それだけで持続可能になるわけではありません。育成に必要な時間を確保できるか、兼務する業務で本人の経験や能力を生かせるかを考える必要があります。
もう一つ大切なのは、指導を受ける側との関係です。声や話し方は、本人の性格と結びつけて受け止められやすい領域でもあります。「あなたの話し方はよくない」という指摘では、改善に向けて一緒に考えることが難しくなります。
「この場面では、どのように伝えると相手が受け取りやすいか」。相談者にとっての分かりやすさを共通の目的に置き、変えられる行動について考えることが重要です。私自身も指導を受ける一人として、この取り組みに参加しています。
5.研修を「イベント」で終わらせず、日常業務に組み込む
現在、私を含む社労士4名は、週1回程度、1回1時間のトレーニングを受けています。それに加えて、佐々木が実際の電話応対を確認し、声量、話す速さ、間の取り方、説明の順序などについてフィードバックしています。
この取り組みは、次のような循環として捉えています。
- 定例のトレーニングで、声や話し方の基礎を磨く。
- 実際の電話応対で、どのように使えているかを確認する。
- 具体的な場面について、改善点を共有する。
- 次の相談で意識して実践する。
- その実践を、次の振り返りにつなげる。

ポイントは、研修で理解したことを、その後の業務で試せる距離に置くことです。
研修を受けたという事実だけでは、顧客への伝わり方が変わったかどうかは分かりません。仕事の中で振り返り、次の行動へつなぐところまで含めて育成だと考えています。
さらに、この約6年間の実践知を「安心を届ける話し方5原則」として整理しました。
- 話す前に、相手を想う:相談者の気持ちや状況を想像してから、会話に入る。
- 声は「低く、明るく」、呼吸は深く:落ち着きと親しみやすさを意識する。
- 相手の声の変化を聴き、返し方を変える:相手の反応に応じて、速度や言葉を調整する。
- 「理由」と「終わりの見通し」を伝える:確認の目的と、残りの内容・時間の目安を示す。
- 急がず、語尾まで丁寧に届け切る:最後まで聞き取りやすさを保つ。
※これは、当法人の相談実務と研修を通じて整理した独自の応対指針です。医学的な効果や、すべての相談者に同じ効果があることを示すものではありません。
6.属人的な技術を、組織の共通言語に変える
5原則にまとめた意義は、話し方を振り返るための言葉ができたことです。
例えば、「もう少し丁寧に説明しましょう」だけでは、何を変えるべきかが伝わりません。一方、「質問する理由を先に伝える」「残りの説明項目と時間の目安を示す」であれば、次の相談で実践できます。
「安心してもらう」という目標を、観察でき、練習できる行動に分ける。そうすることで、経験者の感覚の中にあった工夫を、他の社員にも共有しやすくなります。
ただし、共通の指針を持つことは、全員が同じ声や同じ調子で話すことではありません。相手の声だけで状態を決めつけず、声の変化を手がかりとして受け止め、伝え方を調整することも指針に含めています。
現在は、電話相談の録音データをAIで文字起こしし、その内容をもとに、AIを使ったフィードバックも行っています。振り返るのは、例えば次のような点です。
- 相談者の不安に応える説明ができていたか。
- 相談のゴールを伝えていたか。
- 相談者が次に何をすべきか、明確に伝えていたか。
- 手続きや提案が相談者にとってどのようなメリットを持つか、説明できていたか。
こうした複数の観点から、説明内容や会話の進め方についてフィードバックを得ています。
トレーナーから声量や速度、間の取り方などの助言を受けることに加え、文字起こしを使って「何を、どのような順序で伝えたか」も振り返る取り組みです。
ただし、AIのフィードバックだけで、相談者の不安が実際に解消されたと判断することはできません。
文字起こしには、声の調子など、十分に表れない情報もあります。AIが示す指摘は応対を見直す手がかりとして捉え、相談者の反応や会話の文脈と照らして考えることが大切です。
人による指導とAIを使った振り返りを組み合わせることで、話し方と説明内容の両面を育成の対象にしています。「感じがよかったか」という印象だけで終わらせず、次の相談で何を改善するかまで具体化することを目指しています。

7.何が変わり、何を確かめる必要があるか
この取り組みを振り返る際には、投入した時間、社員の行動、組織の体制、顧客の声を分けて見る必要があります。
まず、取り組みの量です。2020年頃から継続してきたトレーニングは、2026年時点で社労士1人あたり約300時間、4名の累計で延べ約1,200時間と見積もっています。
約6年間、週1回程度、1回1時間という期間と頻度をもとにした概算です。時間をかけたこと自体を、効果の証明とするものではありません。
社員の行動については、「声量を意識する」「説明の見通しを伝える」「相手の反応に応じて言い換える」など、実践すべき内容を具体的に示せるようになりました。
これらの行動を実際の相談でどう実践できているか、電話応対へのフィードバックや文字起こしを使った振り返りを通じて確認しています。今後も振り返りを重ね、日々の応対で継続して実践できているかを確かめていきます。
組織としては、実際の電話応対を踏まえて速やかにフィードバックできる体制と、話し方を共有するための5原則を整えました。さらに、AIを活用して相談内容を振り返る取り組みも行っています。応対の質を担当者個人の工夫に任せず、組織で扱うための土台です。
お客様からも、声や話し方に関する感想をいただくことがあります。
「不安な気持ちで電話をかけましたが、とても温かい声で対応してくださり、何度質問しても『大丈夫ですよ』と優しい言葉とお声で安心させていただきました」(60代・女性)
「いつも丁寧に質問に答えていただき、話しやすい優しい声のトーンで、緊張せずに話すことができました。電話にもすぐに対応していただけました」(40代・女性)
「とても声が落ち着いていて、答えやすかったです。電話が苦手な私にとって、それがとてもありがたかったです」(40代・女性)
これらは個人の感想であり、ボイストレーニングだけによる効果を証明するものではありません。それでも、話しやすさや声のトーンが、お客様にとって大切な要素であることを考える手がかりになります。
人材投資の成果は、研修の実施回数だけで判断せず、現場の行動と顧客の体験を確かめながら見ていくことが重要だと考えています。
8.社員採用が向く企業、まず外部研修から始める企業
この事例を通じて、すべての企業にボイストレーナーの社員採用を勧めたいわけではありません。必要な体制は、顧客接点の性質や、改善したい課題によって異なります。
社内に専門人材を置く価値が高いのは、例えば、次のような条件が重なる企業です。
- 電話や対面による顧客接点が多く、安心感や信頼感がサービス品質に深く関わる。
- 自社の顧客や業務への理解を踏まえた、継続的な指導が必要である。
- 日常的に応対を振り返り、短い間隔で改善したい。
- 指導に必要な時間を確保し、他の職務も含めて持続可能な役割を設計できる。
一方、改善したい行動がまだ明確でない場合や、まず基本を学びたい段階では、外部研修から始める方法が考えられます。定期的な助言があれば足りるなら、業務委託も選択肢になります。
採用には、給与だけでなく、受け入れや業務調整、育成に参加する社員の時間も必要です。その負担に見合う役割を設計できるかまで検討することが欠かせません。
最初の一歩としては、自社の顧客接点を振り返り、「どの場面の、どの行動を変えたいか」を一つ具体的にすることを勧めます。そのうえで外部の専門家と試し、必要な指導の頻度や関わり方を確かめる。私たちも、外部教室で学ぶところから始めました。
9.「伝える力」を、一部社員の才能にしない
私たちは今後も、週1回程度、1回1時間のトレーニングと、実際の電話応対に即したフィードバックを続けていきます。5原則を社内教育と応対品質の改善に活用し、担当者が変わっても安心して相談できる体制を目指します。
新しく相談を担当する社員にも、何を大切にし、何を実践すればよいのかが伝わること。その実践を確かめ、必要に応じて指針自体も見直せること。こうした仕組みを育てることが、今後の課題です。
育成を確かめる指標も、受講時間だけでは十分ではありません。説明の見通しを伝えられたか、相手に質問する余地があったか、相談者がどう受け止めたか。行動と顧客の体験の両面から検討していく必要があります。
専門知識があっても、それを相手が受け取れる形で届けられなければ、支援は十分に機能しません。「伝える力」を一部の社員の才能や経験に委ねず、組織として学び、蓄積できる能力にしていく。
私たちにとって、ボイストレーナーを社員として迎えたことは、そのための人材投資です。電話の最初の一声から安心して相談できる窓口をつくることを、「うつ病で苦しむ人が安心して休める社会」につなげていきたいと考えています。
「障害年金」という選択肢についてもっと知りたい方は

日本で唯一の「うつ病による障害年金専門」の社会保険労務士事務所です。代表の宮里竹識は自らの家族のうつ病体験から、経済的不安の解消こそが治療への第一歩と実感し、事務所を設立しました。直近1年間では491名を支援し486名の受給が決定、障害年金の支給総額は62億円超の実績を誇ります。
