
メンタル不調の社員が出たとき、多くの企業で用意されている選択肢は、いまも
- 休職させる
- 復職させる
- 退職してもらう
の三つではないでしょうか。休職制度や産業医・EAP(従業員支援プログラム)など、「会社としてできることは精一杯やっている」そう感じている人事の方も多いと思います。
しかし現場を見ていると、「復職→再休職→退職」という“負のループ”に陥るケースは少なくありません。その裏側で、傷病手当金が尽きた後、収入が途絶え、生活困窮や自殺リスクが一気に高まっていく懸念もあります。
そこで、企業の人事こそ知っておいてほしいのが、「障害年金」という“第四の選択肢”です。これは、会社のコストを増やすことなく、働けない社員の“最後のセーフティネット”になり得る制度です。

執筆者宮里 竹識氏社会保険労務士法人 全国障害年金パートナーズ 代表
2004年に社労士試験合格後、複数の社労士事務所や企業人事で実務経験を積む。2014年に社会保険労務士事務所全国障害年金パートナーズを設立。2018年に法人化(社会保険労務士法人全国障害年金パートナーズ)。事務所設立以来、ずっとうつ病の障害年金を専門にしており、1年間で428名のサポート、依頼者総数は2,479名。累計で支援した年金総額は54億6,777万円にのぼる(2025年8月1日時点)。
目次
「傷病手当金の崖」以降、企業からの支援は途絶える

健康保険の傷病手当金は、最長1年6か月で支給が終了します。ここまでは会社の制度や保険で何とか支えられますが、問題はその先です。
復職に失敗し、しかし十分に働ける状態にも戻れないまま、傷病手当金が終わる。貯金を切り崩し、配偶者の収入に頼り、それも限界を迎える頃には、離婚・別居・孤立・生活保護といった事態に追い込まれる方も少なくありません。
企業側は、「退職後の生活までは会社の責任ではない」と線を引きがちです。しかしその線引きは、結果的に人命リスクを放置している可能性があります。
本来、傷病手当金と生活保護の“谷間”を埋めるために用意されている公的制度が、これからお話しする「障害年金」です。人事がこの存在を知っているかどうかで、守れる社員の数が確実に変わります。
障害年金とは何か?「現役世代でも受け取れる年金」

「年金」と聞くと、多くの方が老齢年金(65歳から受け取る年金)をイメージします。しかし、障害年金はそれとは別ものです。
障害年金は、病気やケガで生活や仕事が制限されるようになった人が、現役世代であっても受け取れる公的年金です。
対象となるのは、がんや脳卒中などの身体疾患だけでなく、うつ病、双極性障害(躁うつ病)、統合失調症、発達障害などの精神疾患も含まれます。
支給額は、加入している年金制度や家族構成によって変わりますが、おおむね「年間約61万円〜250万円超」。私の事務所での受給例を見ても、平均すると年160万円前後になるケースが多い印象です。
また、全国障害年金パートナーズの依頼者データでは、初回認定から次回更新までに受け取れる障害年金の総額は、平均で約363万円となっています(あくまで当事務所の実績ベースの目安です)。
※具体的な金額は、物価や賃金の動きに応じて毎年改定されるため、最新の公的資料や年金機構の情報で必ず確認してください。
しかも、一度認定されると、症状が軽くなったと判断されるまでは支給が続きます(1〜5年ごとに更新審査あり)。
精神疾患による障害年金の受給者は年々増加しており、いまや「働けないメンタル不調者」の制度的な出口として、非常に重要な役割を担っています。人事がこの制度の概要だけでも押さえておくことは、社員の命と尊厳を守るうえで、もはや必須と言ってよいでしょう。
なぜ人事は「うつ病等の精神疾患で障害年金を受け取れる」ということを知らないのか

ここまで読んで、「そんな制度があるなら、もっと早く知りたかった」と感じた方もいるかもしれません。実は、障害年金は国や年金機構がほとんど広報をしておらず、一般にはほとんど知られていません。
加えて、医師は医療の専門家であって、障害年金の専門家ではありません。障害年金の診断書を書いた経験がほとんどない先生も多く、患者さんに「障害年金という制度がありますよ」と積極的に案内してくれるケースは少数派です。
その結果、要件を満たしているにもかかわらず、制度にたどり着けず、申請すらしていない“取りこぼし社員”が、全国に相当数存在します。
私が代表を務める全国障害年金パートナーズ(うつ病による障害年金に特化した社労士法人)でも、依頼者の約8割が「最近まで障害年金の存在を知らなかった」と答えています。
企業ができること――「伴走する人事」の3ステップ
では、人事として具体的に何ができるのでしょうか。ここでは、今日から実践できる3つのステップを提案します。
① 休職者への面談時に“制度の存在”を伝える
とくに、傷病手当金の支給終了が近づいている社員には、「こういう制度もありますよ」と障害年金の存在を一言伝えてあげてください。
人事が判断して「あなたは対象外です」と選別する必要はありません。「条件を満たすかどうかは、年金事務所や専門家に相談してください」と添えれば十分です。
たった一言の情報提供が、その人の人生を大きく変えることがあります。
② 情報提供のハブになる
社内イントラネットや休職者向けガイドブックに、「障害年金の概要」と「相談窓口」を記載しておきましょう。
- 日本年金機構の障害年金ページ
- 社会保険労務士など専門家の相談窓口
など、複数の選択肢を並べておくと、社員が匿名・オンラインで情報を取りにいきやすくなります。
人事がすべてを説明しようとする必要はありません。「困ったときは、ここにアクセスすればいい」と案内できる“ハブ”になっていただきたいのです。
③ メンタルケア=経済ケアと捉える
メンタル不調の社員が口にする悩みの多くは、「お金の不安」と強く結びついています。収入が途絶える恐怖が、うつ症状や希死念慮を悪化させることも、現場では珍しくありません。
障害年金により、最低限の生活費の目処が立つと、
- 「今はしっかり休んで治そう」と腹をくくれる
- 焦りが減り、治療意欲が戻る
- 無理な復職チャレンジを避けられる
といった効果が期待できます。
「心のケア」と「経済的なケア」は、切り離せない時代です。障害年金は、“働けない社員を救う最後のライン”として、人事が知っておく価値のある制度だと私は考えています。
障害年金申請の事例
最後に、私が実際に関わったケースを、匿名・一部脚色のうえでご紹介します。
Aさん(40代男性・既婚・子ども2人)は、真面目で責任感の強い管理職でした。長時間労働と人間関係のストレスが重なり、うつ病を発症。休職と復職を繰り返した末、2年間の休職期間を経て復職を試みましたが、フルタイム勤務に耐えられず、再び体調を崩して退職しました。
退職後まもなく、傷病手当金の支給も終了。家族4人の生活費と住宅ローンが重くのしかかり、「自分がいなくなった方がいいのではないか」と本気で自殺を考えるようになっていきました。
そんなとき、偶然インターネットで「うつ病でも障害年金が受け取れる」という情報を見つけ、私たちの事務所に相談がありました。年金記録や医療機関の状況を確認したところ、要件を満たしていたため、障害年金の申請をサポートしました。
結果として、Aさんには年間約160万円の障害年金(2級相当)が認定され、ご家族の生活は何とか成り立つ見通しが立ちました。もちろん裕福になるわけではありませんが、「今日・明日生きていけるかどうか」という恐怖からは解放されました。
Aさんは、こう話してくれました。
「正直、死ぬことばかり考えていました。でも、障害年金が決まって、はじめて『もう一度社会に戻れるかもしれない』と感じられたんです」
後日、元の会社の人事責任者からも、「あのとき障害年金の制度を知っていれば、もっと違う声かけができたはずだ」と伺いました。
制度の知識があるかないか、その差が“救える社員の数”を左右している――この現実を、私は現場で何度も目の当たりにしています。
「制度を知る」ことが、優しさの第一歩
今回の話で一番お伝えしたいのは、「人事が“第四の選択肢=障害年金”の存在を知り、社員に一言だけでも情報を届けてほしい」ということです。
障害年金は、会社のコストを増やすことなく、社員とその家族の生活・命・尊厳を守るために用意された公的制度です。
メンタル不調者への「出口戦略」として、今こそ人事が学ぶべきテーマだと考えています。人事の一言──「こういう制度もあるそうですよ」──が、社員の人生の分かれ道になることがあります。
休職でも、形式的な復職でも、冷たい退職勧奨でもない、“第四の選択肢=障害年金”を、頭の片隅に置いておいてください。それは、これからの人事に求められる「新しい優しさ」であり、責任でもあると、私は思っています。

