ここまで経済産業省「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」に基づき、各社の事例の紹介やその解説を行ってきました。
本項では、仕事と介護の両立支援が、企業における人的資本経営や健康経営、DEIの視点にどのように関係するのか説明します。
寄稿者石田 遥太郎氏株式会社日本総合研究所 リサーチ・コンサルティング部門 シニアマネジャー
シンクタンクに勤務した後、2012年より医療福祉関連ベンチャーのスタートアップメンバーとして参画し、医療介護施設の開設及び運営のコンサルティングに従事。また管理部門の責任者として、経営管理全般(経営企画、財務、人事、システム等)を担当。2019年日本総合研究所に入社。リサーチ・コンサルティング部門にて、健康分野、医療介護分野における政策提言、調査研究、民間企業向けのコンサルティングに従事。
寄稿者小島 明子氏株式会社日本総合研究所 創発戦略センター スペシャリスト
1976年生まれ。民間金融機関を経て、2001年に株式会社日本総合研究所に入社。多様な働き方に関する調査研究に従事。東京都公益認定等審議会委員。主な著書に、『「わたし」のための金融リテラシー』(共著・金融財政事情研究会)、『中高年男性の働き方の未来』(金融財政事情研究会)、『女性と定年』(金融財政事情研究会)、『協同労働入門』(共著・経営書院)。
寄稿者石山 大志氏株式会社日本総合研究所リサーチ・コンサルティング部門 マネジャー
日系コンサルティングファームを経て現職。入社後一貫して人事組織コンサルティングに従事し、近年は人的資本経営の推進、プロアクティブ人材の育成に向けた取り組み推進に注力。近時の執筆記事等として、「仕事と介護の両立を実現するビジネスケアラー支援」(共著、『労政時報』2024年/労務行政)「エクイティがダイバーシティ施策のカギ-〜人的資本経営とDE&I」(共著、「Power of Work-2023年/アデコ)等がある。
1. 人的資本経営としての仕事と介護の両立支援
人的資本経営とは、人材を資本として捉え、その価値を最大限に引き出すことで中長期的な企業価値の向上を図る経営の在り方です。
2020年に経済産業省が発表した人材版伊藤レポートは、人的資本経営に必要な3つの視点(Perspective)と5つの共通要素(Common Factors)を取り上げ、日本国内での人的資本経営への関心を高める契機となりました。
従来の人材戦略は人材を「資源」と見なし、管理をコストとして扱い、終身雇用による囲い込みを重視していました。これに対して、人的資本経営では人材を「資本」として捉え、価値創造に向けた投資とみなすことで、積極的な人材戦略を志向するという考え方です。
加えて、人的資本経営の実践においては人事担当者や管理職の経験や勘に頼るのではなく、データの効率的な活用と客観的な指標に基づく意思決定を行うことも重要であるとされます。
人的資本経営の実践においては、従業員の知識やスキルを育成し、それを中長期的な企業価値向上に結びつけることが重要とされます。
本テーマである仕事と介護の両立ができずに、仕事のパフォーマンスが低下することも、人的資本を有効に活用できていないことを意味します。そのため、企業で育成した人材が中長期的に企業に貢献するためにも、仕事と介護の両立支援は必要不可欠になります。
特に40~50代の従業員や管理職が多い企業では、事業継続・リスクマネジメントの観点からも対応が求められます。さらに、従業員規模の小さい中小企業では、離職者等の代替人員の確保が難しいケースも多いでしょう。
例えば、これまで自社の大口顧客の窓口として活躍していたベテラン従業員が、家族の介護を理由に十分な引継ぎを行うことができずに離職し、大口顧客が離れてしまうことで企業の業績に直接影響を及ぼしてしまうといったケースも考えられます。
それ以外にも、社内外の様々な知見を持つベテラン従業員の仕事の生産性が下がったり離職してしまうことで、組織としての意思決定の質が低下したり、周囲の従業員の業務の効率が低下する可能性もあります。
このような状況を生み出さないためにも、介護と仕事の両立を支援することは、企業が育んできた従業員個々人の人的資本のみならず、組織固有の人的資本を維持するためにも必要であると言えます。
2. 健康経営の実践
人材版伊藤レポートでは、3P5Fモデルの一部として「社員エンゲージメントを高めるための取組」を掲げており、その要素のうちの一つとして「健康経営への投資とWell-beingの視点の取り込み」を紹介しています。
健康経営とは、従業員等の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践することです。つまり、社員の健康状況を把握し、継続的に改善する取組を、個人と組織のパフォーマンスの向上に向けた重要な投資と捉え、健康経営への投資に戦略的かつ計画的に取り組むことが人的資本経営の一環としても求められていると言えます。
健康経営の実践としては幅広い属性の社員への対応が求められますが、中でも仕事と介護の両立を行う従業員への支援は、予備軍を含めた対象層の幅広さ・人数の多さからその優先的に取り組む必要があるといえます。
加えて、経済産業省が行う健康経営度調査においては、令和6年度の調査から仕事と介護の両立支援に関する項目が増加しています。
具体的には「企業側からメールなどでのプッシュ型での情報提供」「介護リテラシーや両立に関する研修機会を設けている」「相談先、相談の流れ等を社員向けに明示的に伝えている」など、本連載でもお伝えをしたような施策が掲げられています。
健康経営は、単に従業員の健康に資する取り組みを散発的に進めることではありません。従業員の健康管理を経営的な視点で考え、健康リスクへの対応について投資を行うことで、従業員の活力向上や生産性の向上等の組織の活性化をもたらすことが求められています。
仕事と介護の両立支援についても、単に法令対応や健康経営度調査の項目を満たすために実施するのではなく、なぜ自社にとって仕事と介護の両立が重要な経営課題になり得るのか説明すること、企業の中長期計画やビジョンなどと紐づけて整理して施策を展開することが求められます。
3. ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン(DEI)の実現
仕事と介護の両立支援の具体的施策を検討する上で重要な考え方が、ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン(DEI)の観点です。
ダイバーシティは「ワークユニットの中で相互関係を持つメンバーの間の、個人的な属性の分類」であり、企業の内外において多様な属性の人が増えてきた状態を示します。
インクルージョンは「仕事を共にする集団において、社員個人が求める帰属感と自分らしさの発揮が、集団内の扱いによって満たされ、メンバーとして尊重されている状態」であり、多様性の高い状況において企業や組織が目指すべき状態として掲げられています。
では、エクイティとは何でしょうか。エクイティはダイバーシティの高い状況でインクルージョンを実現するためのカギとなる概念であり、「組織における公平性を担保するために、貢献度合いに応じて資源を分配すること」と言われます。
例えば、「女性」「外国籍の社員」「中途採用者」などの属性の多様性が増加する中では、同様の成果を目指す場合に必要な資源(時間や労力など)が異なります。このような場合に、「そういった属性だから仕方がない」と考えるのではなく、本人が納得する形で「上司や周囲から配慮の言葉をかけてもらう」「必要な権限や責任を与える」ことなどが、エクイティの観点で求められる施策になります。
仕事と介護の両立においても、個人の属性を前提として、同様の成果を得るために必要な支援として相談窓口の設置や、介護サービスや各種民間サービスの利用補助を行うことはエクイティ、ひいてはDEIの観点で求められる取り組みであるとも言えます。
4. 仕事と介護の両立支援に向けた取り組みの副次的効果
仕事と介護の両立支援に向けた取り組みの副次的効果仕事と介護の両立支援に関わらず、昨今は人材における多様性の確保や育児を行う従業員への対応等、DEIの観点から従業員を取り巻く環境は大きく変化しています。
加えて、人材の多様性の高まりや雇用の流動性の向上の観点から、企業が従来通りの採用・人材育成活動を実施したとしても、人材の確保・定着を実現することは難しい状況が今後も続きます。
そのため、これらの環境変化に対応し、多様な個がその能力を最大限発揮できるよう各種制度を整備する企業が増えていますが、これらの制度の実効性を高めるにはマネジメント層がその課題や対応策を理解し、多様な人材を受け入れて組織を運営する能力を高めることも不可欠です。
一方で、管理監督者やミドルマネジメントなどのマネジメント層の中にはDEIに関する諸制度を、必ずしも前向きに捉えていない方もいるかもしれません。
表向きは制度の情報を周知するなど納得しているように見えますが、会社や組織の方針や目標と関連づけて従業員に説明できず、企業としての実効的な利用が阻害される場合も散見されます。
しかしながら、こういった課題を抱える企業ほど、DEIの実現の第一歩として仕事と介護の両立支援に取り組むべきであると筆者は考えます。
働く家族介護者となるのはマネジメント層である場合が多いです。つまり、働く家族介護者の当事者となるマネジメント層自身が仕事と介護の両立支援といったDEI施策の「受け手」となる経験によって、会社が取り組むDEI施策の「支え手」として前向きに捉えるきっかけになると考えられます。
DEIの諸課題は、本来誰しもが「支え手」「受け手」として当事者であるはずです。その課題を分かち合いながら、ともに解決策を考えるきっかけとして仕事と介護の両立支援を位置づけても良いでしょう。