経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会」で座長を務め、人的資本経営の推進に関するアイデアを「人材版伊藤レポート」にまとめた一橋大学の伊藤邦雄教授と、株式会社リンクアンドモチベーション、モチベーションエンジニアリング研究所が共同講座を開催。
大手企業のCHRO候補者(人事、サステナビリティ、経営企画の責任者以上)約30名が参加しました。
「人的資本経営」の実現のためにはCHROのあり方が重要と言われており、現在では海外での取り組みが先行している状況ですが、本講座は伊藤教授とCHRO候補となる方々が本格的に議論をして、「日本式CHRO」のあり方を磨いていく最先端の場となっています。
本記事ではその内容の一部をご紹介します。
目次
1.本講座の概要
本講座ではクローズドな場で、伊藤邦雄教授を講師に、大手企業人事責任者、サステナビリティ推進責任者、経営企画責任者など自社において人的資本経営を実践している方々をお招きし、人的資本経営について深く学んでいきます。
講師紹介
伊藤 邦雄|一橋大学 CFO教育研究センター長
講座の内容について
今回は、伊藤教授がまとめた「企業価値経営」(日本経済新聞出版)を題材に講座を実施。
以下の著書をもとに、伊藤教授から講義をしていただき、グループディスカッション、意見交換をおこなっていきます。
【企業価値経営|著者 伊藤邦雄】
経産省「伊藤レポート」実践内容をまとめた1冊。
- 1|「企業価値経営」の全体像を解説
企業価値を評価する手法や概念が、経営という実践の場でどのような意義を持ち、どのように活用されているのかを解説。 - 2|基本から応用、実践までを理解できる3部構成
分析編では、会計数値などを駆使しながら企業の競争力や企業行動を解析するファンダメンタル分析に主眼を置いて解説。評価編では、ファイナンスの理論やツールを活用して企業価値を算定。創造編では、「ある出来事に直面した企業が、本書のフレームワークを使っていかに課題を解決していくか」を1つの経営ストーリーとして追いかける。
プログラム(全4回で実施)
- DAY1:価値思考が未来を変える
- DAY2:総合格闘技としての企業価値評価
- DAY3:無形資産、非財務・ESG情報
- DAY4:人的資本投資の実践
2.総合格闘技としての企業価値評価とは?
本記事では、「DAY2:総合格闘技としての企業価値評価」の内容をご紹介します。
これからの経営は、効率・管理といった概念から「価値思考」への転換が求められています。企業価値を創造しなければ淘汰される世の中に変わってきています。
ところが、TOPIX500社(※1)のうち、PBR(※2)が1倍を割っている企業が半数弱を占めているように、ほとんどの日本企業が価値を創造するどころか価値破壊を起こしているということです。
TOPIX(東証株価指数)の時価総額上位500銘柄で構成される時価総額加重平均指数のこと。最も流動性が高い500銘柄のパフォーマンスを表します。
株価が割安か割高かを判断するための指標。1株当たり純資産の何倍の値段が付けられているかを見る投資尺度となります。PBRの数値は低いほうが割安と判断され、「PBR=1倍」が、割安・割高の判断基準のひとつになっています。
複雑な経営環境の中では、直接的な売上以外の企業資産にも着目して「総合格闘技」的に価値創造を実現していくことが求められます。
DAY2では、非財務資本やサステナビリティが注目されるこれからの時代において、非財務データに着目した経営の重要性と企業価値評価の方法を共有していきます。
3.CEO、CFO、CHROのトライアングルが重要
前回おこなわれたDAY1での講義では、企業価値を向上させるために、どのような観点が求められるのかが解説されており、要素としては以下の5つが挙げられていました。
- 稼ぐ力(資本生産性)
- ガバナンス
- DX、ESG・SDGs
- 脱炭素・気候変動
- 人材戦略
それを受けてのDAY2の講義になります。
企業価値向上の要素には、「財務資本」である稼ぐ力と「非財務資本」といわれるその他の項目があり、昨今では非財務資本の重要性が高まってきています。
その中で、非財務資本をどのように可視化・数値化していくのか。財務資本とのバランスをどのようにとっていくのか。
まず重要になるのが、CEO、CFO、CHROのトライアングルの関係性です。
CEOとCFOがいる企業は数多くあり、コミュニケーションも密にとれていると思います。
一方で、そもそもCHROのポジションがない企業、CHROがいてもCFOとのコミュニケーションを十分にとれていない企業が多く、アメリカでも密に連携できている企業は数少ないそうです。
そのため企業価値向上には、CEO、CFO、CHROがトライアングルで同じ目線でコミュニケーションをとっていくことが重要であり、CHRO観点から経営や財務を理解しつつ貢献していくことが求められています。
4. 企業価値評価をどう数値化していくのか?
ではここからは、財務会計モデル、資本コストモデルなどを用いて、CHROが知っておくべき、さまざまな企業価値評価の指標についてお話しされた内容を抜粋してご紹介します。
財務会計モデルから見る企業価値評価
EV/EBITDA倍率アプローチ
EV(Enterprise Value)とは、マーケット側から見た企業の事業価値のことで、企業が将来的に稼ぐであろうキャッシュフローの現在価値を意味します。これは、企業価値とは異なります。
EBITDAとは、財務分析上の指標のひとつで税引前利益へ特別損益・支払利息・減価償却費を足して求める値を指します。キャッシュベースの収益力を測るひとつの指標として活用されます。
EV/EBITDA倍率は、EV(事業価値)がEBITDA(キャッシュベースの収益力)の何倍とされているかを表す指標になります。
EV/EBITDA倍率が平均より上なのか下なのかで、自社の企業価値の現在地を知ることができます。
PBRアプローチ
PBR(株価純資産倍率)とは、株価が1株当たり純資産の何倍の値段が付けられているかを見る投資尺度です。現在の株価が企業の資産価値に対して割高か割安かを判断する目安として利用されます。
PBRの数値は低いほうが割安と判断されます。PBR=1倍が株価の底値のひとつの目安(株価と資産価値が同じ)とされてきています。
伊藤教授は、「人的資本の情報開示でPBRをあげることは可能である」と述べています。
ROEアプローチ
ROE(Return On Equity)は自己資本利益率のことで、「その株に投資してどれだけ利益を効率良く得られるか」を表します。
このROEは、投資家から重要視される大事な財務指標であり、ROEが高いと株価も上がりやすいため、経営にも大事な指標となっています。一般的にはROEが高ければ高いほど、投資価値のある会社だと判断されます。
ROE8%が一つの指標であり分かれ道になるため、この8%を超えるとPBRも1倍を超えてくると言われています。
資本コストモデルから見る企業価値評価
資本コストとは
資本コストとは、企業の資金調達に伴うコストを指します。これには、借入に対する利息の支払いや、株式に対する配当の支払いが該当します。
このような、会社が債権者や投資家に支払うべき資本コストの算出は、WACC(加重平均資本コスト/Weighted Average Cost of Capital)と言われるものを用いておこないます。
WACCには株主資本コスト(自己資本コスト)と、負債コスト(他人資本コスト)の2つのコストが関係します。
株主資本コスト(自己資本コスト)
株主資本コストとは、会社から見ると株式での資金調達にかかるコストのことです。株主目線では、出資額に対して期待するリターン(配当)であり、株主の会社に対する期待収益率を意味します。
負債コスト(他人資本コスト)
負債コストとは、会社から見ると負債にかかるコストのことです。債権者目線では、出資額に対して要求するリターン(利回りや金利)であり、債権者の会社に対する期待収益率を意味します。
WACC
WACCは、株主資本コストと負債コストをそれぞれの時価で加重平均して算出するもので、企業の投資判断に用いられる「正味現在価値/NPV」を計算するときの割引率に活用されます。
WACC = D/D + E×rD×(1-T) + E/D + E×rE
D:負債総額
E:株式の時価総額(=株価×発行済み株式数)
※参照:グロービス経営大学院
EVA(経済的付加価値)
EVAとは、企業が一定期間にどれだけの価値を創造したかをみる指標です。事業活動で得られた利益から資本コストを差し引いた額で、企業が当該事業でどれだけの経済価値を生み出したかを測ります。
「資本コスト以上の税引後営業利益を生み出しているか」をみる指標とも言えるもので、単純に利益を上げるだけではなく、株主が投下した資本を上回る利益をあげたかどうかを意識する必要があります。
利益だけでなく、企業価値を高めていくための部署へ
伊藤教授は、「この資本コストを把握している企業とそうでない企業では、ROE(自己資本利益率)に差が出てくる」とおっしゃっています。
売上を見るのか、ROEを見るのか。会社がみている判断基準と投資家が見ている判断基準は異なっており、企業価値を上げていくためには、その認識のずれを埋めていくことがポイントです。そのうえで、人事部門は何ができるのかを考える必要があり、それは「利益を生む部署から、企業価値を生む部署・活動へ変えていくことだ」と伊藤教授は述べています。
非財務×サステナビリティモデルから見る企業価値
また伊藤教授は、企業価値の源泉として無形資産の重要性を説いています。
米国企業の動きを見ると、近年では有形資産投資率が下がって、無形資産投資率が上がってきているとのことです。
無形資産とは、人的資産や経営プロセスなど、文字通り形を持たない資産のことを指します。また、その企業だけが持つ情報・手法などの知的財産やブランド価値なども該当します。
注目すべきはESG
「ESG」とは、Environment(環境)Social(社会)Governance(ガバナンス)を組み合わせた言葉です。
- Environment(環境):二酸化炭素排出量の削減、再生エネルギーの使用 など
- Social(社会):職場環境における男女平等、ダイバーシティ など
- Governance(ガバナンス):情報開示や法令順守 など
ESG/無形資産に対する評価が高い企業は、そうでない企業と⽐べ、株価や資本市場の評価が上昇する傾向があるそうです。
そのため、ESG/無形資産を通じた持続的な成⻑⼒を⽰すことが必要となり、以下が取り組みの一例として挙げられています。
- GHG(Green House Gas/二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガス)排出量の把握と、削減への取り組み
- ビジネスモデルのグリーン化への転換(エネルギートランスフォーメーション)
- サステナブルファイナンスへの取り組み
→ESGの視点を考慮して融資・投資をおこなうことで、社会課題の解決を促す - 気候変動リスクの情報開示(気候関連財務情報開示タスクフォース/TCFD開示)
- 人的資本の情報開示
- DXへの取り組み
企業価値評価にどうESGを組み込むか?
ROESG経営(ROEとESGの関係性)
これまで述べたように、ROE(自己資本比率)を8%以上に高めていくために、ESGにも注力していく必要があります。ESG活動をどう企業価値に結びつけていくか、このスピード感が重要であるとのことです。
企業競争力のROEと、企業共創力のESGの両方を高めていくことはROESG経営と呼ばれており、その重要性について伊藤教授に解説いただきました。
現在の傾向として以下の3パターンに分かれることが多く、ばらつきがあるとのことです。
- ROE、ESGの両方が高い
- ROEが高く、ESGが低い
- ESGが高く、ROEが低い
このROEとESGの両方をいかに高めていけるかが、日本経済の成長にとっても重要なポイントとなります。
企業価値創造ストーリーをつくる
これからの企業価値を高めていくためには、企業価値創造に向けたストーリー設計をすべきだと、伊藤教授は述べています。
『企業の価値観→長期戦略→実行戦略→KPI→ガバナンス』
CHROを含めた経営陣は、これらのAs-Is To-Beを考え、ストーリー化する作業を実践することが重要であるとのことです。
最後に
伊藤教授は、最後に「非常に難しい話かもしれないが、CHROはこのような視点をもって、人的資本経営、人材戦略を考えることが重要で、これができると経営との目線が合ってくる」とおっしゃっていました。
CEO、CFO、CHROといった経営幹部がコミュニケーションを深め、一枚岩になって人的資本価値を高めていくことの重要性が増してきているとともに、自社らしい、独自性のある取り組みや発信も求められてきています。
企業価値向上には、「稼ぐ」だけではない非財務資本の部分への注目が集まる中で、人事部門としてどう貢献していけるのか。そのポジションの重要性がさらに大きくなってきているように感じました。