日本の雇用制度は、この数十年で大きく変わり、終身雇用と年功序列の人事制度が完全に崩壊しました。ミドルやシニア層は、「人生100年時代」とも言われるように職業人生が長くなった中で、成果主義やジョブ型への対応、またDXに伴って新たなスキルや仕事のやり方を身に付けることが求められています。
一方で、20代前半のZ世代にとっては成果主義と雇用の流動化が当たり前のものであり、短い時間軸のなかで望むキャリアや成長が描けれなければ、早期に会社を見切るという感覚を持っています。
こういった市況の流れを受けて、エンゲージメント向上やリスキリングの一環として、従業員ひとり一人に自らのキャリアを主体的に考えてもらう“キャリア自律”や“キャリアオーナーシップ”の促進に取り組む企業が増えています。
本記事では企業がキャリア自律に取り組むようになった背景を掘り下げつつ、キャリア自律を支援するための施策の紹介、そして、株式会社ジェイックが導入・運用する社内公募制度「マイキャリア」を設問例なども含めてご紹介します。
古庄 拓 | 株式会社ジェイック 取締役/株式会社Kakedas 取締役/HRドクター編集長
慶應義塾大学卒。2005年ジェイック入社。WEB業界・経営コンサルティング業界の採用支援からキャリアを開始。その後、マーケティング、経営企画、研修事業の商品企画、採用事業のオンボーディング支援、大学キャリアセンターとの連携、リーダー研修事業、新卒メディア事業、キャリア支援事業など、複数のプロジェクトや事業の立上げを担当。2016年に執行役員、2018年に取締役就任(現任)、2023年よりグループ会社Kakedas取締役を兼務。採用と人材育成に関するオウンドメディア「HRドクター」の編集長も担当。
X(旧Twitter)アカウント:https://twitter.com/tfurusyo
1. 多くの企業がキャリア自律に取り組む背景
2021年、パーソルキャリアコンサルティングが実施した「企業のキャリア自律施策の実態調査*」によれば、社員のパフォーマンス向上・モチベーション向上・優秀人材の発掘などを目的として、キャリア自律の取組みを実施または検討している企業は83.2%にのぼります。
さらに、1,000名以上の大手企業では「キャリア自律の取り組みを重視している」という回答が71.0%。100~1,000名未満の中小/中堅企業でも57.0%と、どちらも過半数を超える結果となりました。
なぜこれだけ多くの企業がキャリア自律に取り組むのか。背景には、大きく3つのポイントがあります。
1-1. 「組織にキャリア構築を委ねる」意識を変えていきたい
ひとつは、企業が終身雇用を保証できない中で、従業員が持っている「組織にキャリア構築を委ねる」意識を変えていきたいということです。
とくに入社時と現在でキャリアを取り巻く環境が大きく変わっているミドルシニア人材のキャリア自律を促したいというものです。
1-2. モチベーション高く自社で働いてもらいたい
ふたつめはモチベーション高く自社で働いてもらいたいというものです。昨今「ダイレクトリクルーティングに登録してみる」「人材紹介会社で面談してみる」といった転職活動のきっかけは極めて身近なものとなりました。
Z世代と呼ばれる現在の新人や若手は、終身雇用の感覚がないからこそ組織への帰属意識は低く「新卒の入社時点から転職を考えている」ともいわれます。冒頭でも述べた通り、短い時間軸のなかで望むキャリアや成長が描けれなければ、早期に会社を見切るという感覚を持っています。
成長意欲と情報感度、行動力の高い優秀層ほど、「転職」という選択肢は身近です。だからこそ、若手優秀層の離職防止するために、キャリア自律の支援を通じて「社内でのキャリア展望を示してエンゲージメントを向上させたい」というものです。
1-3. 経営戦略としてのキャリア自律
そして最後が、経営戦略としてのキャリア自律です。国内市場が成熟し、人口減少に向かう中で、企業には新たな顧客価値、顧客の感情を動かすような情緒的価値の創造が求められています。
そこで必要となるのは、決められたオペレーション、上司の指示を粛々と実行する人材ではなく、組織のミッションやバリューを理解して顧客に寄り添って自ら考える人材であり、「個の力」を最大化するための人事戦略です。
そして、個の力を最大化するうえで不可欠なのが、「仕事への目的意識」「自分の人生、キャリアにおける意味づけ」といったキャリア自律の要素なのです。
2. キャリア自律を支援する代表的な4つの施策
注目される「キャリア自律」ですが、実現するための施策としてよく取り上げられるのは以下の4つです。
①キャリア研修などのキャリア自律を「考えるきっかけ」
②キャリアカウンセリング、面談など「個別のケア」
③社内公募や異動希望制度などキャリア支援を「後押しする制度」
④Eラーニングや資格の取得支援などの「学ぶ環境」
上記の中で多くの会社で取り入れられているのは、「①キャリア研修」と「④学ぶ環境」の提供です。確かにどちらも導入しやすい施策であり、成長促進やキャリア自律に向けた基盤施策といえます。
しかし、キャリア自律への影響度が大きい一方で、導入率がまだ低いのが、「②キャリアカウンセリング」などの個別ケア、そして、「③社内公募での異動経験」であるという調査結果*がパーソル総合研究所から出されています(*出典:パーソル総合研究所「従業員のキャリア自律に関する定量調査」)
本記事を執筆する株式会社ジェイック(以降、弊社)では「学ぶ楽しさ、働く楽しさ、成長する喜びに満ちあふれた社会を実現する」というビジョンを掲げ、キャリア自律に関しては、①~④まですべての施策を取り入れています。
複数事業や拠点展開をしていることもあり、社内異動は公募制度も含めて積極的に行なってきました。本記事では、これまで社外にほとんどお伝えしてこなかった弊社が実際に運用するキャリア自立促進と社内公募・異動希望制度である「マイキャリア」の概要と運用方法を紹介します。
3. キャリア自律と社内公募制度の導入メリット
株式会社ジェイックは複数事業を展開しており、拠点も東京本社に加えて、東北、中部、関西、中国、九州、国内外の子会社など多岐にわたります(なお、コロナ禍に伴う事業のオンライン化とリモートワークの促進に伴って、2021年~2023年にかけて各拠点の閉鎖・統合・縮小を進めています)。
その中で人材育成と相乗効果の発揮を意図して、部門や職種、拠点をまたいだ人事異動を積極的に行なっています。
その中で、会社からの指示による人事異動と共に運用しているのが転勤や異動希望を出せる「マイキャリア」という一種の社内公募制度です。
業務を熟知している部門や職種から異動する、また、いまの仕事で活躍しているメンバーが異動することは現在所属する組織の業績等のリスクにもつながりかねません。
しかし、正しく実行できれば、中長期的に会社全体にとってはメリットのほうが多いと確実に考えて推進しています。社内公募制度のメリットをいくつか挙げてみます。
3-1. メリット①|優秀人材の離職防止
優秀な従業員が退職を考える理由は、評価や待遇への不満等もありますが、「いまの仕事をしていてもキャリアが描けない」「キャリアにつながる新しい仕事に挑戦してみたい」といったものも大きな要因です。言い換えれば、優秀層ほど次のキャリアステップを踏むために「転職」を選択するということです。
一方で、現在の職務で高いパフォーマンスを発揮している従業員は、上司や部門幹部にとっては頼れる存在であり、異動されては困る人材です。だからこそ、上司や部門幹部は「いまのポジションへの引き留め」を意識することが多くなります。
結果として、無意識に“社内での次のキャリア”の可能性を潰して離職を発生させてしまうことが起こりがちです。
社内公募制度は、このような優秀な従業員に対して「社内でもまだやれることが残っている」「あの仕事に挑戦できれば面白いかもしれない」という意識を促進することができます。
例えば、ジェイックのマイキャリア制度では、異動したい時期や将来のキャリアイメージに関する質問を行います。これらの回答とタレントマネジメントシステム等の移動データを照らし合わせれば、「そろそろ今の仕事に飽きてきているかな…」といった感触もとらえることもできます。
このように、社内公募制度を通じて「“社内転職”という選択肢」を提供することで、優秀な従業員の離職を減少させることができます。
昨今、若手から中堅層の優秀人材の離職は深刻な組織課題となっており、離職防止策として社内公募制度の導入は非常に効果的です。
先ほど紹介したパーソル総合研究所の調査によれば、20代から30代の若手・中堅層で「市場価値が高い」とされるグループは、キャリア自律が高まると転職意向も高まる傾向があります。
ただ、同時に「昇格の見通し」「やりたい仕事ができる」「キャリア意思の表明機会」といった要素があると、転職意向が下がるという結果も出ています。
適切な評価や待遇は前提としたうえで、社内公募制度は「やりたい仕事ができる」「キャリア意思の表明機会」を通じて優秀層の転職意欲の低下に貢献します。
3-2. メリット②|社員のモチベーション向上
やりたい業務にチャレンジできることは、日々の仕事のやりがいにつながり、結果的に社員のモチベーションが向上します。
モチベーションの向上が仕事でのパフォーマンスUPにつながることは多くの調査データで証明されています。
キャリア自律と関連したデータで言えば、社内公募制度などを通じてキャリア自律が向上することは、個人パフォーマンスで1.2倍、ワーク・エンゲージメントで1.27倍、学習意欲で1.28倍など、成果指標にも好影響を及ぼすことが分かっています。
こうした従業員のパフォーマンス向上は、組織が短期的に求める成果です。
3-3. メリット③|採用コストの削減
組織内で人材のアテンドが必要なポジションが発生した場合、内部から異動させる方法と外部から採用する選択肢があります。
一方で、少子化に伴って、即戦力層や優秀人材を採用する難易度は上昇しており、採用単価も高騰しています。また「即戦力」とはいえ、企業の文化や理念を理解し、事業を把握するには一定の教育期間とコストがかかります。
空いたポジションを社内で公募する場合、専門的なスキルを身につけるには時間がかかるかもしれません。しかし既に企業の文化や理念を理解し、一定の事業知識も備わっています。また、公募に手を挙げていますので学習意欲も十分ですし、何より採用コストはかかりません。
もちろん、既存の人材が異動すれば、その部署からは一時的に「穴」が生まれます。しかしご存知の通り、組織内での異動の「穴」は意外と迅速に埋まります。
組織全体で見れば、即戦力を採用するよりも社内異動によって採用コストを削減するほうが全体の生産性を向上させる可能性が高いでしょう。
3-4. メリット④|幹部候補の育成
会社の未来を担う幹部候補には、事業運営に関する知識や技量、ミッション・ビジョン・バリューの理解に加えて、全社スケールでの視野や多様な立場からの思考力が求められます。
日本の大手企業では昔から、異動や出向を通じて幹部人材の育成が行われてきました。ジョブ型雇用の注目度が高まる中で、従来の“ジェネラリスト”の位置づけや育成も変わりつつありますが、それでも幹部人材に求められる視野や思考力の養成に、部門や事業を越えた異動が有効であることは今も変わりません。
事業や部門、職種をまたいだ異動を会社の指示だけでなく、社内公募でも進めることで、よりモチベーションが高まった状態での異動を実現し、幹部育成を支援することができます。
このように社内公募制度は、企業にとっても働く従業員にとっても多くのメリットがあります。ただし、各社で独自に立ち上げていますし、あまり外部の専門的なサービスもないため、社内公募制度の導入に興味を持っている経営層や人事の方々は多い一方で、比較的情報が少ないように感じます。
弊社の「マイキャリア」制度も、SNSなどで簡単に紹介しただけで社外から多くの問い合わせがあり、関心の高さを感じました。
そこで、次回『キャリア自律に向けた社内公募・異動希望制度の事例を公開(下)』では、社内公募による弊害を最小限に抑えつつ、最大限の利益を享受できるように工夫を重ねてきたジェイックの社内公募制度「マイキャリア」の概要や実際の運用ポイントを紹介します。社内公募制度などに興味がある方の参考になれば幸いです。