これまでわが国では、2016年に政府が「介護離職ゼロ」を掲げるなど、仕事と介護の両立に焦点を当てた取り組みが進められてきましたが、なぜ今、“働きながら家族の介護を行う人”(ワーキングケアラーやビジネスケアラーと呼ばれる場合もあります)への対応に注目が集まっているのでしょうか。
「営業の〇〇部長は、義父の通院の送迎・付き添いのために、時間単位年休を取得して中抜けすることがあり、日中の打ち合わせに同席できない場面が増えているらしい」
「人事の●●部長は、最近とても疲れている様子だ。平日の終業後や休日にたびたび実母の介護を自ら行っているらしい。平日日中もチャットツール上でもオフラインになっている時間もある。本人に聞くと、休息の時間がほとんど取れていないらしい。」
人事労務や総務としてさまざまな従業員の声を聴取する中で、もしかすると皆さんの企業の中でもこういった話を聞く機会が増えていないでしょうか。
本連載では、“働きながら家族の介護を行う人”への支援が求められる背景や企業が取り組む意義と現状、また、企業に求められる具体的な取り組み内容について全17回の連載(予定)で説明を行います。
連載の途中では、“働きながら家族の介護を行う人”への支援を先進的に取り組まれている企業のご担当者にインタビューし、その事例を紹介しながら、推進上の課題や工夫した事項についてもお伺いしていきます。
第1回の今回は、“働きながら家族の介護を行う人”への対応に注目があつまる背景として「わが国の人口動態の変化」と「従業員の家族の就労状況や意識の変化」という2つのマクロ外部環境の変化について説明を行います。
寄稿者石田 遥太郎氏株式会社日本総合研究所 リサーチ・コンサルティング部門 シニアマネジャー
シンクタンクに勤務した後、2012年より医療福祉関連ベンチャーのスタートアップメンバーとして参画し、医療介護施設の開設及び運営のコンサルティングに従事。また管理部門の責任者として、経営管理全般(経営企画、財務、人事、システム等)を担当。2019年日本総合研究所に入社。リサーチ・コンサルティング部門にて、健康分野、医療介護分野における政策提言、調査研究、民間企業向けのコンサルティングに従事。
寄稿者小島 明子氏株式会社日本総合研究所 創発戦略センター スペシャリスト
1976年生まれ。民間金融機関を経て、2001年に株式会社日本総合研究所に入社。多様な働き方に関する調査研究に従事。東京都公益認定等審議会委員。主な著書に、『「わたし」のための金融リテラシー』(共著・金融財政事情研究会)、『中高年男性の働き方の未来』(金融財政事情研究会)、『女性と定年』(金融財政事情研究会)、『協同労働入門』(共著・経営書院)。
寄稿者石山 大志氏株式会社日本総合研究所リサーチ・コンサルティング部門 マネジャー
日系コンサルティングファームを経て現職。入社後一貫して人事組織コンサルティングに従事し、近年は人的資本経営の推進、プロアクティブ人材の育成に向けた取り組み推進に注力。近時の執筆記事等として、「仕事と介護の両立を実現するビジネスケアラー支援」(共著、『労政時報』2024年/労務行政)「エクイティがダイバーシティ施策のカギ-〜人的資本経営とDE&I」(共著、「Power of Work-2023年/アデコ)等がある。
1. わが国の人口動態の変化
日本は1950年代から15歳未満の人口比率が減少の一途を辿り、生産年齢人口(15~64歳)は1995年をピークに減少傾向となっています。一方、既に全体人口の約4人に1人が65歳以上の高齢者であり、超高齢社会に突入しています。
加えて、我が国の人口ボリュームゾーン「団塊ジュニア世代」(約800万人)が2040年代後半に後期高齢者となると、医療・介護負担はさらに増大し、“現役世代が高齢者を支える”構造が顕著になります。
経済産業省が行った調査によれば、2030年には家族介護者の約4割(約318万人)が“働きながら家族の介護を行う人”となり、特に45~49歳の年齢層における“働きながら家族の介護を行う人”の人数は、2030年には約171万人となることが見込まれています。
これは、当該年齢階層のおよそ6人に1人が介護をしている状態となり、企業にとっても“働きながら家族の介護を行う人”が仕事と介護の両立を実現できる環境の整備は重要な課題となります。
日本では、現役世代人口が一方で減少し、一方で高齢者人口が増え、超高齢社会が現実となっています。とりわけ団塊ジュニア世代が将来の後期高齢者となると、働き手となる現役世代が医療や介護の増大する負担をどのように支えていくべきかは深刻な問題です。
こうした中で、特に注目すべきは、現役世代の中でも特に介護に直面する可能性が高い40~50代の従業員たちです。これらの人々は企業内でも中核的な役割を果たす人材であり、このような従業員へのサポートが組織全体の成長や企業の中長期的な価値向上に関係しています。そのため、働く人々が介護を必要とする状況を正確に理解し、その実情を人材戦略に反映させることが重要となります。
経済産業省の調査結果は、今後ますます増えていくと予想される“働きながら家族の介護を行う人”の数を明らかにし、その現実を私たちに突きつけています。
今後、企業が従業員の介護問題にどのように対応するかは、企業の中長期的な成長に直結する重要な課題であり、適切に対策を行うことと支援体制を整備することは多くの企業にとって関心事になってくるでしょう。
出典:経済産業省「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」(令和6年3月)P5
2. 従業員の家族の就労状況や意識の変化
近年、女性活躍推進法の施行や度重なる改正等の影響を受け、15歳から64歳の女性の就業率は年々上昇しており、その結果、共働き世帯も増加傾向にあるという現状があります。
このような社会背景から、主な介護者と要介護者本人との間の関係性も変化しています。昔は、「嫁介護」(要介護者の実子の配偶者が介護を行うこと)が一般的でしたが、現在では「実子」や「配偶者」が主たる家族介護の担い手となるケースが増えています。
さらに、働く人々の意識も大きく変化してきています。かつては、家族や自身の健康を犠牲にしてでも、仕事や会社を優先する傾向がありました。
しかし、働き方改革関連法の整備やウェルビーイング等の概念が浸透した今日においては、自分自身や家庭を優先し、ワーク・ライフ・バランスを重視する働き方を選ぶ人が増えてきています。
一方で、現在の企業の対応は、“育児”と“介護”の間で差が見られます。特に2010年以降、育児・介護休業法の改正の影響や社会からの要求を受けて、従業員の育児支援については取り組みが広がっています。
しかし、仕事と育児の両立には積極的に取り組んでいる企業も多い一方で、仕事と介護の両立にむけては、介護に関する理解・認識、社内・公的な制度の浸透はまだ不十分な状況であるとされます。
今後、人口動態の変化や家族の状況、働き手の意識の変化などを踏まえて、“働きながら家族の介護を行う人”に対する支援を進めていく必要があります。
そして、働き手が安心して働ける環境を整備し、仕事と介護の両立を支援することで、“働きながら家族の介護を行う人”が活躍できる職場を目指し、お互いにサポートし合うような風土を作ることが求められます。
加えて、現在は家族の介護に直面していない場合でも、近い将来に働きながら家族の介護を行う可能性のある人々を意識した支援体制の整備も重要となっています。
家族の介護を理由にキャリアを断念せざるを得ないような状況を避けるためにも、育児とは異なり個別性の高い介護の特性に応じた多様な支援の提供が必要とされています。
出典:経済産業省「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」(令和6年3月)P6
3. 仕事と介護を巡るパラダイムシフト
これまでの日本社会では専業主婦世帯が多く、働き手である従業員が家族に介護が必要となった際も、配偶者など家庭内で対応することが一般的でした。そのため、“働きながら家族の介護を行う人”の割合は比較的少なく、企業経営においても経営課題として重視されることは少なかったと言えます。
しかし、現代の日本では、二つの大きな変化が進行しています。上述のように1つ目は企業活動の基礎となる生産年齢人口が減少していること。そしてもう一つは、共働き世帯の増加により、仕事とライフプランの間のつながりが一層深まっていることです。
これに加えて、日本社会は今、慢性的な人材不足に直面しています。その結果、一人ひとりの従業員が持つ希少価値が高まっている状況にあります。
これまでの経済成長の過程で、企業活動の中心である従業員の役割は経済成長を実現し、企業の利益を最大化することにあるとされてきました。しかし、高齢化社会という時代の変化により、一部の従業員が会社のために働くだけでなく、自身や家族の介護も担う必要が生まれてきています。
このような変化に対応するためには、企業が従業員という人的資本を毀損することなく、高い生産性を維持し続けるためにも、その生活全般を支えるような姿勢も求められています。
従業員が仕事を通じて自己実現を果たすだけでなく、自身の家族との時間を大切にし、家族の介護という社会的課題を抱えても働き続けられるような環境を整備することが企業に求められているといえます。
このような視点から見ると、企業による仕事と介護の両立支援に向けた取り組みは、単なる社会貢献活動やCSRではなく、企業が持続的に成長し続けるための重要な戦略であるといえます。今後は、各企業が自身の従業員の現状を理解し、それぞれのライフステージや価値観に対応した柔軟な働き方を提供することが求められます。
そのためにも、従業員の声を直接聞くだけでなく、企業全体で働き方改革に取り組み、介護という課題に対する理解を深め、具体的かつ多様な支援施策に落とし込むことが重要となります。
この先の超高齢社会を迎える日本や日本企業が、国際社会で競争力を保ち続けるためには、家族の介護を行っていたとしても安心して、高い生産性を保ち働き続けることが必要ですし、その生活を全うできる社会の実現が必須となります。それは、企業の中で「仕事と介護の両立支援」を進めることから始まります。
では、今後高齢化社会が進展する中で、“働きながら家族の介護を行う人”の数はどのようになるのでしょうか。また、それによる日本社会への影響はどのようなものなのでしょうか。
次回の第2回では仕事と介護の両立が困難になることによる経済的な影響についてご説明をおこないます。