既に多くの指摘があるとおり、日本における「働き方」はいま変革期を迎えている。
制度上の改革もさることながら、特に20代の働き方を大きく動かす原動力となっているのは彼らの働くことに対する意識であろう。
労働力全体としての働き方は変革の途上であるが、20代を中心とする若手人材の働き方に関する変化は、すでに収束に向かっているといってよい。
若手人材の働き方に関する意識の根底に流れるのは、個性が強調される現代に生まれ育ち、ゆとり世代やさとり世代と呼ばれてきた、もはや30代前半の筆者にすらなかなか理解できない独自の意識だ。
個性を存分に活かしすぎて組織に馴染めないタイプもいるし、かえって個性が埋もれてしまって組織とのミスマッチを生んでしまうこともある。
滅私奉公とまでは言わないまでも企業のために粉骨砕身してきた30代40代にとって、ただでさえ理解が困難な「個性」という価値観が、さらにプラスにもマイナスにも振れるとなれば、採用に直接携わる人事にとってまさに宇宙人にうつるのも無理からぬ話である。
だが、その意識の変化は資格の淘汰につながり研修の在り方にも影響を与えている。令和時代にあるべき研修の姿を模索した。
若手人材の意識変化に伴って変わる資格
平成の日本にあって、労働者のスキルを証明するものといえばまず資格であった。
中高生の頃から英検や漢検に親しみ、大学では国家資格に挑戦し、履歴書を華々しく飾り立てて一流企業に入り、さらに専門職試験や社内試験をこなして出世していく。
面接の前に履歴書で戦わなければいけない就職活動の状況を考えれば、ある意味仕方なかったのかもしれない。
ところが、前述した若手人材の持つ働き方意識が、資格の存在意義を根本から揺るがしている。もっと言えば、資格を提供する側の考え方を変え始めている。
これまで「取っておけば鉄板」と思われていた資格に若手人材が見向きもしなくなったからだ。いくつか理由は見当たるが、概ね以下の三点に該当する資格は受験(受検)者が年々減少しているのではないかと思う。
- 1、難易度が比較的平易である。誰も彼も取得している状態となり、若手人材にとって十分「個性的」でない資格。
- 2、エントリーレベルの資格試験であるにも関わらず難易度が高い。「落ちる」ことを怖がる若手人材には敬遠されてしまう。
- 3、転職や新たな挑戦にあたって業界から前提と思われている資格。最低限の努力(コスパなどと表現される)だけでは門前払いされるため、業界ごとスルーされてしまう。
この傾向はIT業界において特に顕著である。ITパスポートやMOSといった資格は1に該当し、ネットワークやデータベースなどちょっと専門的な資格になれば2や3に該当してしまう。
IT業界で資格ありきの風潮が強いことは、文系出身の若手人材がITエンジニアに挑戦することが難しいのは当然だと思わせる。
こういった状況に鋭く反応しているのが外資の資格だ。追随する形で国内の資格試験も徐々に変わりつつある。
一般的な変化のスピードよりも素早い変化のように見えるのは、労働人口の変化に伴う性向の違い、いわゆる世代の波が想定していたよりも急速に迫っていることと無関係ではないだろう。
例えば国と組んで大きな需要を維持しようとしている資格がある。大学受験の改革にうまく乗ることができた資格は、高校生全体を囲い込んで安定した需要と確保できるだろうか。
ここにきて問題が次々と明るみになっている受験改革と命運を共にしているようにも見える。
別の外資の資格は、来年早々にも枠組みを再編して試験の難易度をあげることが予定されている。筆者の想定ではその後様子を見てより入門レベルの試験を導入するのではないだろうか。
新しいモノ好きな若手の嗜好に沿った計画のようだ。
資格の世界はいずれにせよ変わろうとしているにも関わらず、明らかに動きが鈍い世界がある。それこそ人事の世界だ。資格に対する人事の考え方だ。
資格偏重が歪ませる学習方法
研修を通して資格取得を求められることは依然として多い。曰く、資格を持ってないと客先に推薦できないそうだ。これもIT業界のお客さまが多い。
本質的には資格は推薦の要件ではないことがほとんどだ。営業マンが自社の人材を資格で箔付けできると助かるのだろう。
現場では資格を取っているかどうかはほとんど関係ないと断言する派遣元人事もいる。それよりも人あたりやコミュニケーション能力、適切な報連相と分からなかったら質問できること。そのあたりがキーになっていることすらある。
それでも資格を短時間で取らせなければならない場合、やり方はひとつである。マシーンにするのだ。教育ママの再出現である。
一般的に、学習効果は
- 理論(手元の学習内容を理解すること)
- 演習(学習内容に関連した問題を解くこと)
- 実践(実地でどう使われるか学ぶこと)
- 背景(手元の学習に直接関係しないことも学ぶこと)
- 反復(理解や問題演習を繰り返すこと)
- 発展(自分なりのアウトプットをするなどして学習を総括すること)
の六視点で測られる。
学生における理科であれば、まず教科書で花の構造について学び、部位の名前が穴抜きされた問題を解き、実際に花を摘んできて教科書と照らし合わせる。
さらに植物の進化について学んで理解を深めたらばこれを反復し、最後に好きな花の構造についてパネルにまとめて文化祭で展示する、といった具合だ。
若手のITエンジニアであれば、まず資格本や導入マニュアルで基礎を学び、問題を解くことで頭にいれる。
現場で使うマシンや機材の使い方を知り、さらに今は使われていない技術やこれからの新技術についても学び、反復することで理解を定着させる、という流れになるだろうか。
限られた時間の中で資格試験に受からせるためには、2番の演習に特化すればいい。資格試験の傾向を読み、対策を打ち、ピンポイントで資格に受かるマシーンと化せばいいのだ。
そうすることで資格合格を最短で達成できる。シスコ社のネットワークエンジニアの資格であるCCNAに関しては筆者自身が実証済みだ。
そしてこのやり方が、若手人材にはまったく響かないのだ。
令和時代の研修のススメ
若手人材の好奇心を喚起し前向きに取り組ませるには、「どうしてこの作業をするのか」「なぜしなければならないのか」という準備段階を念入りに説明しなければならない。
ただ試験合格を目指すということだけにモチベーションを高いレベルで維持するには相当ハードルが高い。
IT研修に関して言えば、研修が若手人材に響かなければ、エンジニアにならないという消極的な判断をしてしまう方が続出するということになる。特に文系出身の若手は見極めが早い。
仮に資格を取ったとしても、苦労の果てに資格をとった若手、或いは資格研修に多額のコストをかけた企業は、現場でのミスマッチに苦しみ短期離職する。どちらに転んでも効果的な研修とはいえない。
しかもそれが現場で使えるエンジニアと異なる人物像を育ててしまっていては本末転倒とも言える。
その一因となるのが、六角形の原則をきっちり理解し、手を動かして思いどおりの動作をする成功体験というモノづくりに携わるエンジニアの基礎の基礎を無視して資格によるからだ。
若手人材がバランスよく育つ仕組みを盛り込んだうえで、資格に必ずしもとらわれない研修をしていかなければならない。
また現場の声を直接フィードバックして、必要な能力を身につけ、これからの仕事に興味を持った状態で研修を終えてもらう。
もちろん資格取得は今後も労働者の客観的なスキルを証明する上で有用であり続けるだろう。資格取得もコミュニケーション能力の向上もごく短期間で身につくものではなく、研修の延長線上にあるのだ。